木こりとその嫁(3)
木こりとその嫁(3)
2024/09/03(火) 08:30
(*神社やお寺に由来する伝承や日本に残る昔物語。今なら無料で全て読むことができます。メニューの『神社・お寺』から)
まもなく無事に男の子が生まれた。大きな赤子だった。
しかし、突然、左之助をどん底に陥れる事態が起きた。
吉津が出産すると間もなく急に寝込んでしまった。産後の肥立ちが悪く、産婆もお手上げのようだった。
「なんとか救ってくれ」
産婆やかけつけた医者に懇願したが、どちらも首を横に振るばかりだった。
左之助は深い悲しみに覆われた。布団の中で眠る吉津のやつれた表情をただ見下ろすことしかできなかった。涙が止まらなかった。残された赤子とこの先どうやって暮らしていけばよいのかを考えるたびに、黒い不安に襲われた。
「左之助さん。あなたに伝えておかねばならないことがあります」
不意に吉津が目を覚まし、天井を見つめそう語った。
「どういうことじゃ?」左之助ははっとし、心配そうに見下ろした。
「私は岩木山に住む、白ギツネでございます」
「どういうことだ?意味がわからない。おまえはわしにとって大切な吉津でしかない」
「ありがとうございます。少しだけ、話を聞いてください」
「あまりしゃべらなくていい」
「いいえ、話しておかねばならないのです。私は十年以上前にあなたに救われたキツネの娘なのですから」
「わ、わしが助けた?狐?」
「はい。山道で転がり落ちそうになった母を自分の大切な斧を捨ててまで、助けてくださった、心優しいかた」
そこで左之助は思い出した。あの夕刻の大きな腹の女の顔が明確に思い浮かんだ。目の前で寝ている吉津もどことなくあのときあった女に似ているのだと、そこで思い至った。
「あなたのおかげで私が無事にこの世に誕生することができたのです」
涙を流し、女は語った。
「なぜだ?」
「わたしがあのとき母親の腹の中にいたのですから」
そこですべてが男の中でつながった。あの母親は前から左之助がきたので、人に姿を変え、足早に通り過ぎようとして、足を崖に滑らせたのだ。そのとき、すでに吉津が女の腹に宿っていた。
「そうだったのか」
「はい。母は私を生み数年後、猟師に撃たれた傷がもとで死にました。しかし、人間を恨んではいけない、とも言っていました。それは、心優しい人間が母を助けてくれたからこそ、この世に私が生を受けられた。人間には感謝しなければならない。そう泣きながら真実を話してくれました。母親がいなくなり、山の神にお願いし、寿命と引き換えで人間に変えていただきました。そして、あなたを探し当てたのです」
「ありがとう。吉津」
「こちらこそ幸せでした。私はまもなく母の元へ旅立たねばなりません。一緒になってくださってありがとうございます」
そこまですべてを伝えると、ほっとしたのか、空咳を何度か繰り返し、女は幸せそうな目で男を見上げた。そっと手を伸ばした。
「あ、ありがとう。わしこそ、幸せな日々だった。先に逝かないでくれ」
左之助は涙声になった。女の小さな手を必死に握った。すっかり冷たくなっている手を両手で必死にさすった。温め続ければ、ずっとこの先も三人で一緒に暮らせる、そんな錯覚に陥った。
「まもなくのようです。ありがとうございます。なにとぞこの子をお願いします。私の忘れ形見だとおもってください。ありがとう。左之助さま」
そこで女ははじめて左之助の名前を呼んだ。名前を呼ばれたのは最初で最後だった。女はそのまま安心したように静かに目を閉じた。それから女が二度と左之助を見ることはなかった。左之助は大声で泣き、生まれたばかりの赤子を抱え、吉津の脇に泣き崩れた。子は寂しそうに左之助と死んだ母親の顔を交互にみていた。
左之助と吉津の子は、ふたりの名をとり、「吉之助(きちのすけ)と」名づけられた。うつむくと長いまつげが目立った。どことなく、吉津を思い出させた。
その子供は、愛らしい顔ながら、たくましい男に成長し、左之助同様、木こりとなった。
村一番の力持ちとなった男は、左之助ゆずりで気は優しかったが、その村の若い木こり達を引っ張った。岩木山の村村を代表する立派な木こりとなった。
左之助と吉之助は岩木山のふもとに、吉津とその母ギツネを祀るお堂を建てた。
それはいつしか、木こりを守る稲荷神社として有名になり、多くの木こりが、安全を祈願するため足を向けるようになった、という。
了
(*メニュー欄『神社・お寺』から物語のつづきや他の昔物語を今なら全て無料で読むことができます。)
物語についてのご意見はこちらから
まもなく無事に男の子が生まれた。大きな赤子だった。
しかし、突然、左之助をどん底に陥れる事態が起きた。
吉津が出産すると間もなく急に寝込んでしまった。産後の肥立ちが悪く、産婆もお手上げのようだった。
「なんとか救ってくれ」
産婆やかけつけた医者に懇願したが、どちらも首を横に振るばかりだった。
左之助は深い悲しみに覆われた。布団の中で眠る吉津のやつれた表情をただ見下ろすことしかできなかった。涙が止まらなかった。残された赤子とこの先どうやって暮らしていけばよいのかを考えるたびに、黒い不安に襲われた。
「左之助さん。あなたに伝えておかねばならないことがあります」
不意に吉津が目を覚まし、天井を見つめそう語った。
「どういうことじゃ?」左之助ははっとし、心配そうに見下ろした。
「私は岩木山に住む、白ギツネでございます」
「どういうことだ?意味がわからない。おまえはわしにとって大切な吉津でしかない」
「ありがとうございます。少しだけ、話を聞いてください」
「あまりしゃべらなくていい」
「いいえ、話しておかねばならないのです。私は十年以上前にあなたに救われたキツネの娘なのですから」
「わ、わしが助けた?狐?」
「はい。山道で転がり落ちそうになった母を自分の大切な斧を捨ててまで、助けてくださった、心優しいかた」
そこで左之助は思い出した。あの夕刻の大きな腹の女の顔が明確に思い浮かんだ。目の前で寝ている吉津もどことなくあのときあった女に似ているのだと、そこで思い至った。
「あなたのおかげで私が無事にこの世に誕生することができたのです」
涙を流し、女は語った。
「なぜだ?」
「わたしがあのとき母親の腹の中にいたのですから」
そこですべてが男の中でつながった。あの母親は前から左之助がきたので、人に姿を変え、足早に通り過ぎようとして、足を崖に滑らせたのだ。そのとき、すでに吉津が女の腹に宿っていた。
「そうだったのか」
「はい。母は私を生み数年後、猟師に撃たれた傷がもとで死にました。しかし、人間を恨んではいけない、とも言っていました。それは、心優しい人間が母を助けてくれたからこそ、この世に私が生を受けられた。人間には感謝しなければならない。そう泣きながら真実を話してくれました。母親がいなくなり、山の神にお願いし、寿命と引き換えで人間に変えていただきました。そして、あなたを探し当てたのです」
「ありがとう。吉津」
「こちらこそ幸せでした。私はまもなく母の元へ旅立たねばなりません。一緒になってくださってありがとうございます」
そこまですべてを伝えると、ほっとしたのか、空咳を何度か繰り返し、女は幸せそうな目で男を見上げた。そっと手を伸ばした。
「あ、ありがとう。わしこそ、幸せな日々だった。先に逝かないでくれ」
左之助は涙声になった。女の小さな手を必死に握った。すっかり冷たくなっている手を両手で必死にさすった。温め続ければ、ずっとこの先も三人で一緒に暮らせる、そんな錯覚に陥った。
「まもなくのようです。ありがとうございます。なにとぞこの子をお願いします。私の忘れ形見だとおもってください。ありがとう。左之助さま」
そこで女ははじめて左之助の名前を呼んだ。名前を呼ばれたのは最初で最後だった。女はそのまま安心したように静かに目を閉じた。それから女が二度と左之助を見ることはなかった。左之助は大声で泣き、生まれたばかりの赤子を抱え、吉津の脇に泣き崩れた。子は寂しそうに左之助と死んだ母親の顔を交互にみていた。
左之助と吉津の子は、ふたりの名をとり、「吉之助(きちのすけ)と」名づけられた。うつむくと長いまつげが目立った。どことなく、吉津を思い出させた。
その子供は、愛らしい顔ながら、たくましい男に成長し、左之助同様、木こりとなった。
村一番の力持ちとなった男は、左之助ゆずりで気は優しかったが、その村の若い木こり達を引っ張った。岩木山の村村を代表する立派な木こりとなった。
左之助と吉之助は岩木山のふもとに、吉津とその母ギツネを祀るお堂を建てた。
それはいつしか、木こりを守る稲荷神社として有名になり、多くの木こりが、安全を祈願するため足を向けるようになった、という。
了
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(*神社やお寺に由来する伝承や日本に残る昔物語。今なら無料で全て読むことができます。メニューの『神社・お寺』から)
まもなく無事に男の子が生まれた。大きな赤子だった。
しかし、突然、左之助をどん底に陥れる事態が起きた。
吉津が出産すると間もなく急に寝込んでしまった。産後の肥立ちが悪く、産婆もお手上げのようだった。
「なんとか救ってくれ」
産婆やかけつけた医者に懇願したが、どちらも首を横に振るばかりだった。
左之助は深い悲しみに覆われた。布団の中で眠る吉津のやつれた表情をただ見下ろすことしかできなかった。涙が止まらなかった。残された赤子とこの先どうやって暮らしていけばよいのかを考えるたびに、黒い不安に襲われた。
「左之助さん。あなたに伝えておかねばならないことがあります」
不意に吉津が目を覚まし、天井を見つめそう語った。
「どういうことじゃ?」左之助ははっとし、心配そうに見下ろした。
「私は岩木山に住む、白ギツネでございます」
「どういうことだ?意味がわからない。おまえはわしにとって大切な吉津でしかない」
「ありがとうございます。少しだけ、話を聞いてください」
「あまりしゃべらなくていい」
「いいえ、話しておかねばならないのです。私は十年以上前にあなたに救われたキツネの娘なのですから」
「わ、わしが助けた?狐?」
「はい。山道で転がり落ちそうになった母を自分の大切な斧を捨ててまで、助けてくださった、心優しいかた」
そこで左之助は思い出した。あの夕刻の大きな腹の女の顔が明確に思い浮かんだ。目の前で寝ている吉津もどことなくあのときあった女に似ているのだと、そこで思い至った。
まもなく無事に男の子が生まれた。大きな赤子だった。
しかし、突然、左之助をどん底に陥れる事態が起きた。
吉津が出産すると間もなく急に寝込んでしまった。産後の肥立ちが悪く、産婆もお手上げのようだった。
「なんとか救ってくれ」
産婆やかけつけた医者に懇願したが、どちらも首を横に振るばかりだった。
左之助は深い悲しみに覆われた。布団の中で眠る吉津のやつれた表情をただ見下ろすことしかできなかった。涙が止まらなかった。残された赤子とこの先どうやって暮らしていけばよいのかを考えるたびに、黒い不安に襲われた。
「左之助さん。あなたに伝えておかねばならないことがあります」
不意に吉津が目を覚まし、天井を見つめそう語った。
「どういうことじゃ?」左之助ははっとし、心配そうに見下ろした。
「私は岩木山に住む、白ギツネでございます」
「どういうことだ?意味がわからない。おまえはわしにとって大切な吉津でしかない」
「ありがとうございます。少しだけ、話を聞いてください」
「あまりしゃべらなくていい」
「いいえ、話しておかねばならないのです。私は十年以上前にあなたに救われたキツネの娘なのですから」
「わ、わしが助けた?狐?」
「はい。山道で転がり落ちそうになった母を自分の大切な斧を捨ててまで、助けてくださった、心優しいかた」
そこで左之助は思い出した。あの夕刻の大きな腹の女の顔が明確に思い浮かんだ。目の前で寝ている吉津もどことなくあのときあった女に似ているのだと、そこで思い至った。
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