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平七の小槌(こづち)(3)

平七の小槌(こづち)(3)
2023/03/14(火) 08:30
(*神社やお寺に由来する伝承や日本に残る昔物語。今なら無料で全て読むことができます。メニューの『神社・お寺』から)

急に、火の玉がぐるぐると男の周囲を廻ると、男の記憶が遠のいていくのがわかった。
――我々はおまえの先祖の魂ぞ。よくぞ、その願いを言った。
遠ざかる意識の先で、重々しい炎の声がそう言ったように感じた。
――過去が良くみえるということは現在がかすむということ。いまが満足できなければ、明るい未来などやってこない。この世の刻(とき)とは連続し、続いていくもの。おまえと女房が仲良く暮らしてこそ子孫の繁栄があるのだ。
炎の声が反響すると男の胸の内が次第に熱を帯びた。
――先祖としておまえたちに褒美をやろう。
その響きとともに雷のような衝撃が男の体を抜け、そのまま記憶がなくなった。
鳥のさえずりが耳に届き、ふと、平七は目を覚ました。
お日様がすでに昇り、目を開くと、青い空が眼前に広がっていた。
がばりと起き上がると、そこは畑の中だった。
「夢だったのか?」
右の手の平を即座に確認したが、焼けただれたはずの手が綺麗になっていた。
少し、ほっとしたが、願いごともかなわなかったのかもしれないと、男は思った。
「家に戻らねば、ミツが心配しているかもしれない」
男は慌てて家路についた。一晩黙って戻らなかったことできっとミツは心配している。
その昔、町に買い物に平七がでかけたときだった。嵐に途中で遭遇し、二晩、家に戻るのが遅れたとき、ミツは家の中で孤独に震え、心配で泣き崩れていたことがあった。本来はそういう殊勝な女房なのだ。
いまの情けない自分が、女をあんなにすれた性格にしてしまったのだ。
男は玄関の戸を震える指であけた。
「い、いま帰った」
中から返事がない。
「いま、戻った」
もう一度、伝えると、すすり泣く声がやってきた。
手で顔を覆い隠し、女が泣いている。
「すまん。畑で寝ていたようだ」
そう平七が告げると、ミツが顔をあげた。その姿に驚いた。昨夜若返っていたはずの表情がもとに戻っていた。それは、たいそう老け込んだ、いつも見慣れたミツの姿であった。
「ひと晩も、黙って、どこにいっていたんだい。心配したじゃないか」
そう吐き捨て、ミツは男の胸にしがみついてきた。どうやら性格も戻ったようだった。
男はそこで安堵から笑った。
「おお、心配させて、すまなかった、すまなかった、ミツ。大切な用があったのだ」
「黙って出かけてはいけないよ。なにかあったのではないかと心配するじゃないか」
「どうやら小槌が、願いを聞き届けてくださったようだ」
男は嬉しそうに呟き、古女房の肩を抱きしめた。
みつは不思議そうに男の顔を見上げていた。
あのとき、焼けるような衝撃の中、男は小槌を握り、もう一度、女房をもとのすがたにしてほしい、と唯一の願いを言った。
昨夜、若返った女房の姿を家の中で目にしたとき、目前の女よりも、一緒に年を重ね、苦楽を共にしたミツこそが本当の自分の女房だと、瞬間的に悟ったのだ。
手を失うことを覚悟し、願いを懸命に告げて良かったと思った。
あの火の玉が、先祖の魂だとしたら、自分と妻の生活をいつも見守ってくれていたのだろう。二人で生きている毎日に感謝しなければならない。短い人生の大切な刻(とき)なのだ。その重要性に気付くように、小槌を与えてくれたのに相違ない。男はそう感じた。
「ミツ、幸せにする」
男は女房の肩をぎゅっと抱き、そう呟いた。「急に、何を言ってんだい」
ミツは恥ずかしそうに言葉を返した。
「お前の背中の後ろに見える箪笥が光っているように見えるが」
男はミツに手をそえ、部屋の箪笥に近づいた。引き出しをあけた。すると、中には黄金に輝いた小判が山のように積まれている。
「ど、どうしたのだ。ミツ、この小判は?」
「小判など知りませんよ」
「だって、おまえ、こんなにたくさん」
「わたしがそこにしまって入れていたのは、あなたが婚姻の日にくれた約束状です」
「そうか」
男はそこで合点がいった。先祖の炎が最後に「褒美をやろう」といった言葉はこれだったのか、とおもった。現在の夫婦仲を大切に、喜び、感謝する。それこそが明るい将来を生み出し、子孫繁栄につながる。そのために、金子(きんす)を二人に与えてくれたのだろう。右手を犠牲にしてまでも、いまの女房を大切にしようとした平七は正しかったのかもしれない。
その後、平七とミツは長年ほしかった子まで授かることができた。
先祖の打出の小槌は、幸運を二人に与えてくれた。
男は畑の近くに先祖を祀る祠をつくった。
相変わらず、畑は獣に荒らされることもあったが、二人はその後、死ぬまで幸せに暮らした、という話。
平七の祀った祠は小槌神社となり、今でも東村で言い伝えとなっている。


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急に、火の玉がぐるぐると男の周囲を廻ると、男の記憶が遠のいていくのがわかった。
――我々はおまえの先祖の魂ぞ。よくぞ、その願いを言った。
遠ざかる意識の先で、重々しい炎の声がそう言ったように感じた。
――過去が良くみえるということは現在がかすむということ。いまが満足できなければ、明るい未来などやってこない。この世の刻(とき)とは連続し、続いていくもの。おまえと女房が仲良く暮らしてこそ子孫の繁栄があるのだ。
炎の声が反響すると男の胸の内が次第に熱を帯びた。
――先祖としておまえたちに褒美をやろう。
その響きとともに雷のような衝撃が男の体を抜け、そのまま記憶がなくなった。
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「夢だったのか?」
右の手の平を即座に確認したが、焼けただれたはずの手が綺麗になっていた。
少し、ほっとしたが、願いごともかなわなかったのかもしれないと、男は思った。
「家に戻らねば、ミツが心配しているかもしれない」
男は慌てて家路についた。一晩黙って戻らなかったことできっとミツは心配している。
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いまの情けない自分が、女をあんなにすれた性格にしてしまったのだ。
男は玄関の戸を震える指であけた。
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