弥助の赤い袋とお稲荷さま(2)
弥助の赤い袋とお稲荷さま(2)(*神社やお寺に由来する伝承や日本に残る昔物語。今なら無料で全て読むことができます。メニューの『神社・お寺』から)
毎日お稲荷さままで歩いて、弥助が七つになったころだ。
幼い弥助は二つ前の年から、大人と一緒に、近くの河原から大きな石を運んだ。太日川から船に乗せ、運ぶこともあったし、崩れた寺壁を補修するために、戸板で運搬することもあった。
すでに母親が病に倒れてから数年が経過している。
今日も一日、石を運び、萱ぶき屋根が傾いた家に戻った。弥助は疲れ果てていた。大人の中に入って働くのは並大抵ではない。働く姿の弥助に優しい言葉をかけてくれるひともいたが、流れ着いた人足のようなのも混じっていて、よろめく足取りの子供を邪魔もののように蹴飛ばす手合もいた。
七つになった弥助は心得ている。働いて疲れた顔を見せると母親が心を痛めた。
途中の村の井戸で顔をきれいに洗い、夕暮れに照らされる玄関前で、元気な顔をつくった。
「おかあ、帰りやした。今日も、でっけえ石を、たっくさん運んで……」
と言いかけたとき、土間の上の布団が、いつものようにわずかながらも動かないのを感じた。
「お、おかあ」
盥で足も洗わず、弥助は玄関から中に飛び上がった。
「おかあああ」
母親はまっ白い皮膚で、目をつぶったままだった。弥助がゆすっても、決して目を覚ますことはなかった。
それから、 村の人たちがおしかけ、何日かは、知らない大人たちが家の中に入ったり、出て行ったり、あわただしくなった。そして、庄屋のような偉い大人が丁寧に、弥助にひとこと、「おかあを借りるよ」といったきり、大きな壺のようなものに、母親は入れられ、そのまま弥助は家にひとり取り残された。
弥助は何日も眠れなかった。
一人ぼっちでこの世に取り残された不安よりも、母親の声や手のぬくもりが忘れられなかった。
弥助は、呆然とした目つきで、よろよろと稲荷神社へ足を向けた。何日もろくに食べ物を口にしていないため、たどりつくのに、数刻(二時間以上)もかかった。
そして、稲荷神社の石祠の前でうずくまった。見上げると、毎日、毎日、母親の命を伝えた赤い布袋が山と積まれていた。
つづく
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毎日お稲荷さままで歩いて、弥助が七つになったころだ。
幼い弥助は二つ前の年から、大人と一緒に、近くの河原から大きな石を運んだ。太日川から船に乗せ、運ぶこともあったし、崩れた寺壁を補修するために、戸板で運搬することもあった。
すでに母親が病に倒れてから数年が経過している。
今日も一日、石を運び、萱ぶき屋根が傾いた家に戻った。弥助は疲れ果てていた。大人の中に入って働くのは並大抵ではない。働く姿の弥助に優しい言葉をかけてくれるひともいたが、流れ着いた人足のようなのも混じっていて、よろめく足取りの子供を邪魔もののように蹴飛ばす手合もいた。
七つになった弥助は心得ている。働いて疲れた顔を見せると母親が心を痛めた。
途中の村の井戸で顔をきれいに洗い、夕暮れに照らされる玄関前で、元気な顔をつくった。
「おかあ、帰りやした。今日も、でっけえ石を、たっくさん運んで……」
と言いかけたとき、土間の上の布団が、いつものようにわずかながらも動かないのを感じた。