家紋ニュース 織田家家臣1
家紋ニュース 織田家家臣1永禄3年5月19日(1560年6月12日)、今からおよそ459年前、織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を討ち、天下にその名を轟かせました。
初めにご紹介するのは丹羽家。柴田勝家と共に織田家を支えた古参の重臣であり「丹羽直違(にわすじかい)」を使用していたとされます。「丹羽直違」は丹羽氏の代表紋。2本の直線を斜めに交差した形は、地震や風で建物が倒れるのを防ぐために柱と柱の間に挟む木材を表しているとされ、家や城を守るといった意味を込めて、紋章として用いられたといわれています。「丹羽長秀(にわながひで)」は長きにわたって信長に仕えていました。
「瓶割り柴田」と異名をとった猛将、柴田勝家は「二つ雁金(ふたつかりがね)」を使用。「二つ雁金」は柴田氏の代表紋で「雁金(かりがね)」は、“幸せを運ぶ鳥”「雁(かり)」を紋章化した家紋。「柴田勝家(しばたかついえ)」が作ったといわれる「二つ雁金」は、二羽の「雁」を上下に並べたもので、この二羽の「雁」は「柴田勝家」と、妻の「市(いち)」のようだともいわれています。江戸時代には「丸に二つ雁金(まるにふたつかりがね)」も用いていたとされています。
清州会議で間に合わなかった重臣、滝川一益の滝川家は、「丸に堅木瓜(まるにたてもっこう)」を使用。「丸に堅木瓜」は織田氏の家紋「織田瓜(おだか)」と同じ「木瓜」紋で、通常横向きの「木瓜」紋が縦向きに描かれています。「滝川一益(たきがわいちます)」は、鉄砲の腕前から織田氏の家臣になったといわれており、同じ「木瓜」紋であるこの「丸に堅木瓜」からも、織田氏との深いつながりが感じられます。
「槍の又左」と恐れられた前田利家の前田家は「加賀梅鉢(かがうめばち)」。「梅鉢」紋は、梅の花を幾何学的に紋章化したもので、菅原道真の子孫と称す前田氏は、菅原道真にちなんで「梅鉢」を用いていたといわれています。「前田利家(まえだとしいえ)」の時代には「星梅鉢(ほしうめばち)」だったともいわれています。
戦国ファンにはたまらない「織田家家臣団」の家紋を今回はご紹介しました。本日発表の家紋詳細は「家紋ドットネット(Web)(https://kamon.myoji-yurai.net/columnOda1.htm)」に掲載しております。
※上記データは7,000種以上の家紋情報を持つ日本最大の「家紋ドットネット(Web)」と「無料 家紋」アプリのデータベースから、丹羽氏、柴田氏、滝川氏、前田氏の家紋を抽出し、ルーツ製作委員会の厳正なる審査を経て、集計、調査いたしました。今回調査で第308回目(前回は「2019年最新版『山田』の全国都道府県別名字ランキング」を発表)。