市蔵鷺(いちぞうさぎ)(3)
市蔵鷺(いちぞうさぎ)(3)
2023/10/24(火) 08:30
(*神社やお寺に由来する伝承や日本に残る昔物語。今なら無料で全て読むことができます。メニューの『神社・お寺』から)
それから三年の月日が流れた。
禁猟の鷺の一件を、村人が記憶から忘れかけたころだった。市蔵が獄で流行り病にかかり死んだ、という噂が村に流れた。
そして、和尚のもとに、一通の手紙が役人から届けられた。
市蔵が死ぬ直前に、役人に伝えた遺言を書き写したものだという。
和尚は赤ら顔の市蔵を思い出しながら、しっかりと手を合わせ、その手紙を開いた。長い筆文字が見えた。
「和尚様。鷺の一件でお伝えせねばならないことがございます。実は、鷺が昨晩、夢枕に立ちました。明日、あっしは、死ぬようでございます。ただ、鷺はお礼にきたのだ、ということでした。どうも、鷺が死んだあの朝、あっしも死ぬ運命にあったようでごぜえやす。あっしが金細工の職人になってまもないころのことです。兄弟子が自分の作った簪(かんざし)で、あたりの鳥を殺しては遊んでいた、悪ふざけの時期があったのでございます。私は兄弟子に連れられるまま、残酷な場面を何度と目にしました。まだ御禁制前のことですから、村人は誰も気にはしてはいなかったと思います。あのひとは狂ってやした。仕事のうっ憤を晴らしていたのでごぜえやしょう。親方は厳しいし、錺職人というのは神経使う仕事ですから。あっしを連れては、朝早くから、境内にいた鷺を串刺しにしている時期がありました。あっしも苦しかったですが、鳥たちはもっと苦しかったでしょう。ある日、兄弟子が母親の鷺をメッタ刺しで殺し、近くでおびえていた子鷺の首をつかまえたことがありました。なぜかそのとき、あっしの中の我慢していたもんが一気に吹っ飛びまして、兄弟子の背後からおもいきり抱き着き、暴れる男の首を絞めていた。ゆるせなかったんです。自分を満足させるために小さな命まで殺めようとしているあいつが。兄弟子はまもなく息をしなくなりました。あっしも、そこではたと我に返りました。とんでもねえことをしてしまった、と思ったが、後の祭りです。あっしは必死で兄弟子を寺の森奥に埋めたんです。それがきっかけで、あっしは酒がなければ生きられない体になってしまった。その現場は誰も見ていない、はずでした。和尚様はひょっとしたらご存じだったのではねえんですかい。ふと、和尚様と話していると、そんな気がしたことが何度か過去にございます。しかし、見ていたものがいたのですよ。親を殺された子供の鷺でした。三年前に聞こえたように思えた火縄の音もすべて鷺が仕組んだことのようでございます。あっしの寿命はあの日、和尚と出会ったあの刻にこの世から消えてなくなるはずでした。確かに、和尚を見つけた瞬間、足元がふらつき、地が裂けたような感覚に陥りやした。それを大人になった白鷺が恩返しのため、己の命と引き換えに、三年間、あっしの寿命を延ばしてくださったようでございます。まあ、獄での寿命でしたがね。酒を断たれたおかげで、あっしは真に生きる素晴らしさに気づくことができやした。荒くれもんばかりの城下の獄でごぜえやしたが、人情もありましたよ。みんな優しかった。人は見かけによらねえものでございますよ。忘れずに、白鷺の供養をお願いしやすね。和尚、また来世でお会いしましょう」
そう綴られていた。
和尚は雲一つない青い空を見上げ、悟りの境地に達したのであろう、市蔵を思い浮かべ、微笑んだ。
和尚が市蔵の殺しを知っていたかどうかは今となっては誰もわからない。
それ以降、周囲で見かける鷺を「市蔵鷺(いちぞうさぎ)」と呼び、村人は大切にした。
その鬱蒼とした寺のどこかに、いまも鷺供養の碑が立っているという。当時の和尚が市蔵の存在とともに隠したのかもしれないが、今は村人の誰も場所を知らない、という。
了
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それから三年の月日が流れた。
禁猟の鷺の一件を、村人が記憶から忘れかけたころだった。市蔵が獄で流行り病にかかり死んだ、という噂が村に流れた。
そして、和尚のもとに、一通の手紙が役人から届けられた。
市蔵が死ぬ直前に、役人に伝えた遺言を書き写したものだという。
和尚は赤ら顔の市蔵を思い出しながら、しっかりと手を合わせ、その手紙を開いた。長い筆文字が見えた。
「和尚様。鷺の一件でお伝えせねばならないことがございます。実は、鷺が昨晩、夢枕に立ちました。明日、あっしは、死ぬようでございます。ただ、鷺はお礼にきたのだ、ということでした。どうも、鷺が死んだあの朝、あっしも死ぬ運命にあったようでごぜえやす。あっしが金細工の職人になってまもないころのことです。兄弟子が自分の作った簪(かんざし)で、あたりの鳥を殺しては遊んでいた、悪ふざけの時期があったのでございます。私は兄弟子に連れられるまま、残酷な場面を何度と目にしました。まだ御禁制前のことですから、村人は誰も気にはしてはいなかったと思います。あのひとは狂ってやした。仕事のうっ憤を晴らしていたのでごぜえやしょう。親方は厳しいし、錺職人というのは神経使う仕事ですから。あっしを連れては、朝早くから、境内にいた鷺を串刺しにしている時期がありました。あっしも苦しかったですが、鳥たちはもっと苦しかったでしょう。ある日、兄弟子が母親の鷺をメッタ刺しで殺し、近くでおびえていた子鷺の首をつかまえたことがありました。なぜかそのとき、あっしの中の我慢していたもんが一気に吹っ飛びまして、兄弟子の背後からおもいきり抱き着き、暴れる男の首を絞めていた。ゆるせなかったんです。自分を満足させるために小さな命まで殺めようとしているあいつが。兄弟子はまもなく息をしなくなりました。あっしも、そこではたと我に返りました。とんでもねえことをしてしまった、と思ったが、後の祭りです。あっしは必死で兄弟子を寺の森奥に埋めたんです。それがきっかけで、あっしは酒がなければ生きられない体になってしまった。その現場は誰も見ていない、はずでした。和尚様はひょっとしたらご存じだったのではねえんですかい。ふと、和尚様と話していると、そんな気がしたことが何度か過去にございます。しかし、見ていたものがいたのですよ。親を殺された子供の鷺でした。三年前に聞こえたように思えた火縄の音もすべて鷺が仕組んだことのようでございます。あっしの寿命はあの日、和尚と出会ったあの刻にこの世から消えてなくなるはずでした。確かに、和尚を見つけた瞬間、足元がふらつき、地が裂けたような感覚に陥りやした。それを大人になった白鷺が恩返しのため、己の命と引き換えに、三年間、あっしの寿命を延ばしてくださったようでございます。まあ、獄での寿命でしたがね。酒を断たれたおかげで、あっしは真に生きる素晴らしさに気づくことができやした。荒くれもんばかりの城下の獄でごぜえやしたが、人情もありましたよ。みんな優しかった。人は見かけによらねえものでございますよ。忘れずに、白鷺の供養をお願いしやすね。和尚、また来世でお会いしましょう」
そう綴られていた。
和尚は雲一つない青い空を見上げ、悟りの境地に達したのであろう、市蔵を思い浮かべ、微笑んだ。
和尚が市蔵の殺しを知っていたかどうかは今となっては誰もわからない。
それ以降、周囲で見かける鷺を「市蔵鷺(いちぞうさぎ)」と呼び、村人は大切にした。
その鬱蒼とした寺のどこかに、いまも鷺供養の碑が立っているという。当時の和尚が市蔵の存在とともに隠したのかもしれないが、今は村人の誰も場所を知らない、という。
了
(*メニュー欄『神社・お寺』から物語のつづきや他の昔物語を今なら全て無料で読むことができます。)
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それから三年の月日が流れた。
禁猟の鷺の一件を、村人が記憶から忘れかけたころだった。市蔵が獄で流行り病にかかり死んだ、という噂が村に流れた。
そして、和尚のもとに、一通の手紙が役人から届けられた。
市蔵が死ぬ直前に、役人に伝えた遺言を書き写したものだという。
和尚は赤ら顔の市蔵を思い出しながら、しっかりと手を合わせ、その手紙を開いた。長い筆文字が見えた。
それから三年の月日が流れた。
禁猟の鷺の一件を、村人が記憶から忘れかけたころだった。市蔵が獄で流行り病にかかり死んだ、という噂が村に流れた。
そして、和尚のもとに、一通の手紙が役人から届けられた。
市蔵が死ぬ直前に、役人に伝えた遺言を書き写したものだという。
和尚は赤ら顔の市蔵を思い出しながら、しっかりと手を合わせ、その手紙を開いた。長い筆文字が見えた。
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