平七の小槌(こづち)(1)
平七の小槌(こづち)(1)
2023/02/28(火) 08:30
(*神社やお寺に由来する伝承や日本に残る昔物語。今なら無料で全て読むことができます。メニューの『神社・お寺』から)
昔、讃岐の東村に平七(へいしち)という心優しい百姓がいた。年齢は四十を超えている。女房は、自分の畑も持てずにウダツのあがらない亭主に厳しかったが、それなりに男は幸せだった。
ただ残念なのは、子が授からないことだった。
そしてもうひとつ、最近の悩みは、畑が何者かに荒らされることだ。
「イノシシか狐の仕業に違いないのだが」
女房のミツに呟くと、畑の小屋にでも隠れて見張ってみるといい、と助言が返ってきた。
「わかった」
平七は胸をたたき、畑に向かった。
小屋に潜み、夜になるのを待った。
亥の刻(夜十時)を過ぎた頃だった。
息をひそめて見守っていると、遠くから畑に向かい小さな火がいくつか近づいてくるのがみえた。先祖の墓のある山の方からそれは降りてくるようだった。炎がみるみる大きくなってきた。畑の上に満ちてきた。青く美しい炎だった。
「あれは亡霊か?」
平七は背筋が寒くなり、がたがたと小屋で震えた。
男は小屋に立てかけてある鍬を振動する指で握った。
勇気を振り絞り、そっと小屋を出た。
畑に少しずつ近づくと、男の気配に気づいたのか、あたりから火の玉が不意に消えた。
暗闇に包まれた。
「夢でもみていたのか?」
平七は膝から力が抜けそうだった。必死に踏ん張り、耐えていた。
目が暗闇になれると、火の玉が固まっていた場所に、黒い物が落ちっているのがみえた。
恐る恐る近づくと、それは、小槌だった。
「なんだ、これは」
手に取ると、ずしりと重い。振ってみたが、別になにも起こらなかった。
家に急いで戻り、出来事を女房に話した。
「結局、畑を荒らす張本人を見つけられずに逃げてきたのかい。あんたは役に立たないね」
ミツは苦々しく叫んだ。なにさ、こんなもの重いだけじゃないか、といって小槌を握ると、そのまま戸の外に投げ捨てた。
昔は優しい女だったのだが、最近は性格が変わった。
一緒に幸せになろう、とお披露目の場でそっと告げたとき、涙を流していたような女だったのに。確か、約束状までミツに手渡したはずだ。
畑を荒らす犯人はわからないまま幾日も過ぎた。
「あんた、そろそろキツネの尻尾でも捕まえてこないと承知しないよ。作物がやられて生活もままならないのだから」
ミツは朝から不機嫌そうに男にそう吐き捨てた。
「そうだな。そろそろ発見しないとな」
男も弱弱しく答える。
「畑でさっさと作業してきな」
返す刀でミツは男の尻をたたくように外へ追い出した。
よろよろと平七は畑に向かう。家の庭を抜けようとしたとき、大木の下に、汚れた小槌が落ちているのがみえた。
あの夜、畑で発見し、ミツが投げ捨てたものだと思い出した。
男はそれを手に取り、畑にむかった。
男の疲れの原因は、畑が荒らされていることだけではない。女房の態度や辛辣な言葉でもあった。婚姻当初の、幸せにする、と言った約束を妻に果たしていない自分のふがいなさも手伝った。
「結婚当初は優しい女だったのだ。それが二十年も連れ添うと、ああにまでなってしまうものか」
小槌をぶらさげながら、男はぼやいた。
「女房がもう一度、若い時のように優しくなってくれないだろうか」
昔を思いだし、平七は小槌を振りながら、そう呟いて、歩いた。
つづく
(*メニュー欄『神社・お寺』から物語のつづきや他の昔物語を今なら全て無料で読むことができます。)
物語についてのご意見はこちらから
昔、讃岐の東村に平七(へいしち)という心優しい百姓がいた。年齢は四十を超えている。女房は、自分の畑も持てずにウダツのあがらない亭主に厳しかったが、それなりに男は幸せだった。
ただ残念なのは、子が授からないことだった。
そしてもうひとつ、最近の悩みは、畑が何者かに荒らされることだ。
「イノシシか狐の仕業に違いないのだが」
女房のミツに呟くと、畑の小屋にでも隠れて見張ってみるといい、と助言が返ってきた。
「わかった」
平七は胸をたたき、畑に向かった。
小屋に潜み、夜になるのを待った。
亥の刻(夜十時)を過ぎた頃だった。
息をひそめて見守っていると、遠くから畑に向かい小さな火がいくつか近づいてくるのがみえた。先祖の墓のある山の方からそれは降りてくるようだった。炎がみるみる大きくなってきた。畑の上に満ちてきた。青く美しい炎だった。
「あれは亡霊か?」
平七は背筋が寒くなり、がたがたと小屋で震えた。
男は小屋に立てかけてある鍬を振動する指で握った。
勇気を振り絞り、そっと小屋を出た。
畑に少しずつ近づくと、男の気配に気づいたのか、あたりから火の玉が不意に消えた。
暗闇に包まれた。
「夢でもみていたのか?」
平七は膝から力が抜けそうだった。必死に踏ん張り、耐えていた。
目が暗闇になれると、火の玉が固まっていた場所に、黒い物が落ちっているのがみえた。
恐る恐る近づくと、それは、小槌だった。
「なんだ、これは」
手に取ると、ずしりと重い。振ってみたが、別になにも起こらなかった。
家に急いで戻り、出来事を女房に話した。
「結局、畑を荒らす張本人を見つけられずに逃げてきたのかい。あんたは役に立たないね」
ミツは苦々しく叫んだ。なにさ、こんなもの重いだけじゃないか、といって小槌を握ると、そのまま戸の外に投げ捨てた。
昔は優しい女だったのだが、最近は性格が変わった。
一緒に幸せになろう、とお披露目の場でそっと告げたとき、涙を流していたような女だったのに。確か、約束状までミツに手渡したはずだ。
畑を荒らす犯人はわからないまま幾日も過ぎた。
「あんた、そろそろキツネの尻尾でも捕まえてこないと承知しないよ。作物がやられて生活もままならないのだから」
ミツは朝から不機嫌そうに男にそう吐き捨てた。
「そうだな。そろそろ発見しないとな」
男も弱弱しく答える。
「畑でさっさと作業してきな」
返す刀でミツは男の尻をたたくように外へ追い出した。
よろよろと平七は畑に向かう。家の庭を抜けようとしたとき、大木の下に、汚れた小槌が落ちているのがみえた。
あの夜、畑で発見し、ミツが投げ捨てたものだと思い出した。
男はそれを手に取り、畑にむかった。
男の疲れの原因は、畑が荒らされていることだけではない。女房の態度や辛辣な言葉でもあった。婚姻当初の、幸せにする、と言った約束を妻に果たしていない自分のふがいなさも手伝った。
「結婚当初は優しい女だったのだ。それが二十年も連れ添うと、ああにまでなってしまうものか」
小槌をぶらさげながら、男はぼやいた。
「女房がもう一度、若い時のように優しくなってくれないだろうか」
昔を思いだし、平七は小槌を振りながら、そう呟いて、歩いた。
つづく
(*メニュー欄『神社・お寺』から物語のつづきや他の昔物語を今なら全て無料で読むことができます。)
物語についてのご意見はこちらから
(*神社やお寺に由来する伝承や日本に残る昔物語。今なら無料で全て読むことができます。メニューの『神社・お寺』から)
昔、讃岐の東村に平七(へいしち)という心優しい百姓がいた。年齢は四十を超えている。女房は、自分の畑も持てずにウダツのあがらない亭主に厳しかったが、それなりに男は幸せだった。
ただ残念なのは、子が授からないことだった。
そしてもうひとつ、最近の悩みは、畑が何者かに荒らされることだ。
「イノシシか狐の仕業に違いないのだが」
女房のミツに呟くと、畑の小屋にでも隠れて見張ってみるといい、と助言が返ってきた。
「わかった」
平七は胸をたたき、畑に向かった。
小屋に潜み、夜になるのを待った。
亥の刻(夜十時)を過ぎた頃だった。
息をひそめて見守っていると、遠くから畑に向かい小さな火がいくつか近づいてくるのがみえた。先祖の墓のある山の方からそれは降りてくるようだった。炎がみるみる大きくなってきた。畑の上に満ちてきた。青く美しい炎だった。
「あれは亡霊か?」
平七は背筋が寒くなり、がたがたと小屋で震えた。
男は小屋に立てかけてある鍬を振動する指で握った。
昔、讃岐の東村に平七(へいしち)という心優しい百姓がいた。年齢は四十を超えている。女房は、自分の畑も持てずにウダツのあがらない亭主に厳しかったが、それなりに男は幸せだった。
ただ残念なのは、子が授からないことだった。
そしてもうひとつ、最近の悩みは、畑が何者かに荒らされることだ。
「イノシシか狐の仕業に違いないのだが」
女房のミツに呟くと、畑の小屋にでも隠れて見張ってみるといい、と助言が返ってきた。
「わかった」
平七は胸をたたき、畑に向かった。
小屋に潜み、夜になるのを待った。
亥の刻(夜十時)を過ぎた頃だった。
息をひそめて見守っていると、遠くから畑に向かい小さな火がいくつか近づいてくるのがみえた。先祖の墓のある山の方からそれは降りてくるようだった。炎がみるみる大きくなってきた。畑の上に満ちてきた。青く美しい炎だった。
「あれは亡霊か?」
平七は背筋が寒くなり、がたがたと小屋で震えた。
男は小屋に立てかけてある鍬を振動する指で握った。
https://mnk-news.net/images/logo.png
名字・名前・家系図/家紋ニュース
《F(エフ)》