五兵衛の寺(2)
五兵衛の寺(2)
2024/10/29(火) 08:30
(*神社やお寺に由来する伝承や日本に残る昔物語。今なら無料で全て読むことができます。メニューの『神社・お寺』から)
その時不意に低い声が響いた。
「誰です」
五兵衛が闇に問うと、声が返した。
「わたしは仏(ほとけ)。いまおまえの目の前にいる」
「どこにいらっしゃるのです」
声の方に提灯の火を掲げるが、うっすらと見えるのは、低い体勢でいまにもとびかかってきそうな狼の群れだけだった。
「おまえはいまなぜ狼たちがこの場に集まってきているか不思議であろう?」
「は、はい」
心根を見透かされた五兵衛は、声の主を仏だと瞬間的に信じた。
「お前のその提灯には、大量の血がついている」
「血が」
「そうだ。乾いておるからわかるまい」
確かに炎に浮かぶ提灯紙がくすんでいるようにはみえた。
「なぜですか?」
「それは庄屋とあの村のたくらみだからだ」
「庄屋様が。なぜ」
「おまえを殺そうとしている」
「わたくしは恨まれるようなことをしておりませんが」
「人とは自分のことには気づかないもの。背中が見えていない。己の背中を振り返らずともよい。早く狼を追い返さねば、おまえは食い殺されよう」
「お、お願いいたします。仏様、お助けください」
「では、狼を退治したら、お前はひとつだけ私の言うことをきかねばならない。よいか」
「はい。どんなことでも」
「おまえはこの山を抜けたら、二度とこの村にきてはならない」
「二度とでございますか?」
「そうだ、生涯だ」
そこで一瞬、我に返った。自分の生活をいま支えているのは先ほどあとにした隣村の人達だった。町で売れることもあるが、この一年ほどは隣村で細工物が飛ぶように売れるため暮らしが成り立っているのだ。その金づる、ともいえる村に二度とこない、などは実際、難しいとおもった。
しかし、いまはそんなことを考えている刻(とき)ではない。狼の餌食となり、骸(むくろ)となるかどうかの瀬戸際だった。
「わ、わかりました。仏様、二度とあの村には近づきません。お助けくださいませ」
「おまえのその言葉を信じよう」
そう厳そかに声が響くと、あたりに風が舞い上がった。竜巻のような渦がうなりながら、周囲に散った。弱弱しい狼の鳴き声が続いた。五兵衛も物凄い風に耐えた。足を踏ん張り、身構えた。いまにも飛ばされそうだった。
急に、周囲から殺気が消えた。
提灯の炎も同時に消滅した。
まもなく風がやんだ。
「夜道を歩くときには気をつけろ。血の臭いを嗅ぎつけた獣がまた集まりだす」
仏の声は宙でそう言い残すと、それきり、消えた。
気づくと、腰が抜けたように、その場にしゃがみこんでいた。
五兵衛はなんとか立ち上がり、よろめきながら山越えに向かった。
あの夜から三ヶ月が経過した。
恐怖の出来事はいまでも鮮明に五兵衛の頭に残る。
はなには一切話していない。おびえるだろうし、良くしてくれた庄屋にだまされた、という事を自ら受け入れられていない。
命の恩人ともいえるあの声の主との約束を反故にもできず困っていた。
それにしてもそろそろ細工物を売りにどこかへでかけなければ生活の銭が足りない。そう思っていた矢先だった。
大雨が降った翌日だった。
五兵衛のもとに山の近くに住む木こりが飛び込んできた。名は弥助といった。
「どうした、弥助」
「いや、大変だ。隣村がなくなった」
「なくなる?」
「そうだ。昨晩の大雨で村に流れる実川が氾濫した。土砂崩れが激しく、濁流となり村ごと飲み込んだという。いまは土水の底だ」
隣村から逃げてきた男が一人、弥助の家に命からがらたどりついた、という。
「いまは村が水底。やってきたのはどんな男だ?」
「名は、権太、といっているが」
「ああ、知っている男だ。いまからわたしもおまえの家に向かう」
つづく
(*メニュー欄『神社・お寺』から物語のつづきや他の昔物語を今なら全て無料で読むことができます。)
物語についてのご意見はこちらから
その時不意に低い声が響いた。
「誰です」
五兵衛が闇に問うと、声が返した。
「わたしは仏(ほとけ)。いまおまえの目の前にいる」
「どこにいらっしゃるのです」
声の方に提灯の火を掲げるが、うっすらと見えるのは、低い体勢でいまにもとびかかってきそうな狼の群れだけだった。
「おまえはいまなぜ狼たちがこの場に集まってきているか不思議であろう?」
「は、はい」
心根を見透かされた五兵衛は、声の主を仏だと瞬間的に信じた。
「お前のその提灯には、大量の血がついている」
「血が」
「そうだ。乾いておるからわかるまい」
確かに炎に浮かぶ提灯紙がくすんでいるようにはみえた。
「なぜですか?」
「それは庄屋とあの村のたくらみだからだ」
「庄屋様が。なぜ」
「おまえを殺そうとしている」
「わたくしは恨まれるようなことをしておりませんが」
「人とは自分のことには気づかないもの。背中が見えていない。己の背中を振り返らずともよい。早く狼を追い返さねば、おまえは食い殺されよう」
「お、お願いいたします。仏様、お助けください」
「では、狼を退治したら、お前はひとつだけ私の言うことをきかねばならない。よいか」
「はい。どんなことでも」
「おまえはこの山を抜けたら、二度とこの村にきてはならない」
「二度とでございますか?」
「そうだ、生涯だ」
そこで一瞬、我に返った。自分の生活をいま支えているのは先ほどあとにした隣村の人達だった。町で売れることもあるが、この一年ほどは隣村で細工物が飛ぶように売れるため暮らしが成り立っているのだ。その金づる、ともいえる村に二度とこない、などは実際、難しいとおもった。
しかし、いまはそんなことを考えている刻(とき)ではない。狼の餌食となり、骸(むくろ)となるかどうかの瀬戸際だった。
「わ、わかりました。仏様、二度とあの村には近づきません。お助けくださいませ」
「おまえのその言葉を信じよう」
そう厳そかに声が響くと、あたりに風が舞い上がった。竜巻のような渦がうなりながら、周囲に散った。弱弱しい狼の鳴き声が続いた。五兵衛も物凄い風に耐えた。足を踏ん張り、身構えた。いまにも飛ばされそうだった。
急に、周囲から殺気が消えた。
提灯の炎も同時に消滅した。
まもなく風がやんだ。
「夜道を歩くときには気をつけろ。血の臭いを嗅ぎつけた獣がまた集まりだす」
仏の声は宙でそう言い残すと、それきり、消えた。
気づくと、腰が抜けたように、その場にしゃがみこんでいた。
五兵衛はなんとか立ち上がり、よろめきながら山越えに向かった。
あの夜から三ヶ月が経過した。
恐怖の出来事はいまでも鮮明に五兵衛の頭に残る。
はなには一切話していない。おびえるだろうし、良くしてくれた庄屋にだまされた、という事を自ら受け入れられていない。
命の恩人ともいえるあの声の主との約束を反故にもできず困っていた。
それにしてもそろそろ細工物を売りにどこかへでかけなければ生活の銭が足りない。そう思っていた矢先だった。
大雨が降った翌日だった。
五兵衛のもとに山の近くに住む木こりが飛び込んできた。名は弥助といった。
「どうした、弥助」
「いや、大変だ。隣村がなくなった」
「なくなる?」
「そうだ。昨晩の大雨で村に流れる実川が氾濫した。土砂崩れが激しく、濁流となり村ごと飲み込んだという。いまは土水の底だ」
隣村から逃げてきた男が一人、弥助の家に命からがらたどりついた、という。
「いまは村が水底。やってきたのはどんな男だ?」
「名は、権太、といっているが」
「ああ、知っている男だ。いまからわたしもおまえの家に向かう」
つづく
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その時不意に低い声が響いた。
「誰です」
五兵衛が闇に問うと、声が返した。
「わたしは仏(ほとけ)。いまおまえの目の前にいる」
「どこにいらっしゃるのです」
声の方に提灯の火を掲げるが、うっすらと見えるのは、低い体勢でいまにもとびかかってきそうな狼の群れだけだった。
「おまえはいまなぜ狼たちがこの場に集まってきているか不思議であろう?」
「は、はい」
心根を見透かされた五兵衛は、声の主を仏だと瞬間的に信じた。
「お前のその提灯には、大量の血がついている」
「血が」
「そうだ。乾いておるからわかるまい」
確かに炎に浮かぶ提灯紙がくすんでいるようにはみえた。
「なぜですか?」
「それは庄屋とあの村のたくらみだからだ」
「庄屋様が。なぜ」
「おまえを殺そうとしている」
「わたくしは恨まれるようなことをしておりませんが」
「人とは自分のことには気づかないもの。背中が見えていない。己の背中を振り返らずともよい。早く狼を追い返さねば、おまえは食い殺されよう」
「お、お願いいたします。仏様、お助けください」
「では、狼を退治したら、お前はひとつだけ私の言うことをきかねばならない。よいか」
「はい。どんなことでも」
「おまえはこの山を抜けたら、二度とこの村にきてはならない」
「二度とでございますか?」
「そうだ、生涯だ」
その時不意に低い声が響いた。
「誰です」
五兵衛が闇に問うと、声が返した。
「わたしは仏(ほとけ)。いまおまえの目の前にいる」
「どこにいらっしゃるのです」
声の方に提灯の火を掲げるが、うっすらと見えるのは、低い体勢でいまにもとびかかってきそうな狼の群れだけだった。
「おまえはいまなぜ狼たちがこの場に集まってきているか不思議であろう?」
「は、はい」
心根を見透かされた五兵衛は、声の主を仏だと瞬間的に信じた。
「お前のその提灯には、大量の血がついている」
「血が」
「そうだ。乾いておるからわかるまい」
確かに炎に浮かぶ提灯紙がくすんでいるようにはみえた。
「なぜですか?」
「それは庄屋とあの村のたくらみだからだ」
「庄屋様が。なぜ」
「おまえを殺そうとしている」
「わたくしは恨まれるようなことをしておりませんが」
「人とは自分のことには気づかないもの。背中が見えていない。己の背中を振り返らずともよい。早く狼を追い返さねば、おまえは食い殺されよう」
「お、お願いいたします。仏様、お助けください」
「では、狼を退治したら、お前はひとつだけ私の言うことをきかねばならない。よいか」
「はい。どんなことでも」
「おまえはこの山を抜けたら、二度とこの村にきてはならない」
「二度とでございますか?」
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