全国名字めぐりの旅 第2回 青森県(1)
全国名字めぐりの旅 第2回 青森県(1)日本人全員に名字の使用が許されたのは、明治3(1870)年に「平民苗字許可令」という法律が布告されてからである。
同じ年に近代最初の戸籍簿が作製されることになり、私たちの名字は正式に登録され、以降勝手に変更することができなくなった。
江戸時代、名字は武士の占有物であり、庶民は使用を許されなかった。
そのため、庶民に名字は無く、明治になって適当に付けたと長く信じられてきた。
しかし、最近の歴史学では江戸時代の庶民も名字を持っていたという見方が有力になっている。
それは、私的な場面で庶民が名字を名乗っていた証拠の古文書が、戦後続々と発見されたからである。
これからは、ただの符丁だと思われていた名字を少しは見直そうではないか。
私たちの名字は、先祖の身分に関係なく、少なくとも数百年、長ければ1000年近く代々受け継がれてきた家の遺産であり、シンボルなのだ。
では、私たちの名字は何から生まれたのだろうか。
それは地名である。
私たちの名字の大半は、かつて先祖の住んでいた地名に由来している。
吉田さんは、吉田という地名に住んでいた人の子孫であり、中島さんは中島という土地に家があった人の子孫だ。
もうひとつ先祖から受け継がれてきたものがある。
それは家紋である。
家紋は現在、約2万種類が確認されており、やはり1000年前に作られたものだ。
ちなみに日本人が最も多く使っている家紋は片喰(かたばみ)と木瓜(もっこう)である。
今は忘れ去られているが、この家紋にも実は固有の意味がちゃんとあるのだ。
日本人全員に名字の使用が許されたのは、明治3(1870)年に「平民苗字許可令」という法律が布告されてからである。
同じ年に近代最初の戸籍簿が作製されることになり、私たちの名字は正式に登録され、以降勝手に変更することができなくなった。
江戸時代、名字は武士の占有物であり、庶民は使用を許されなかった。
そのため、庶民に名字は無く、明治になって適当に付けたと長く信じられてきた。
しかし、最近の歴史学では江戸時代の庶民も名字を持っていたという見方が有力になっている。
それは、私的な場面で庶民が名字を名乗っていた証拠の古文書が、戦後続々と発見されたからである。
これからは、ただの符丁だと思われていた名字を少しは見直そうではないか。
私たちの名字は、先祖の身分に関係なく、少なくとも数百年、長ければ1000年近く代々受け継がれてきた家の遺産であり、シンボルなのだ。
では、私たちの名字は何から生まれたのだろうか。
それは地名である。
私たちの名字の大半は、かつて先祖の住んでいた地名に由来している。
吉田さんは、吉田という地名に住んでいた人の子孫であり、中島さんは中島という土地に家があった人の子孫だ。
もうひとつ先祖から受け継がれてきたものがある。
それは家紋である。
家紋は現在、約2万種類が確認されており、やはり1000年前に作られたものだ。
ちなみに日本人が最も多く使っている家紋は片喰(かたばみ)と木瓜(もっこう)である。
今は忘れ去られているが、この家紋にも実は固有の意味がちゃんとあるのだ。