全国名字めぐりの旅 第181回 山梨県(5)
全国名字めぐりの旅 第181回 山梨県(5)
2023/12/22(金) 08:30
山梨県には志村さんが多いが、その発祥地は隣県の長野県佐久市にあった志村地名だという。志村とは本村から分かれした支村、枝村のことで、そのままの文字では面白くないので、志という縁起の良い文字を当てて飾った。こういう飾り文字を佳(か)字(じ)という。北村を喜多村と書くのも、窪を久保と書くのも佳字化である。日本の苗字はこういう佳字化によって、その数をじょじょに増やしていったのだ。
志村さんだが、ご先祖は第56代清和天皇(850-81)の流れをくむ清和源氏小笠原氏族の伴野六郎時長である。その子孫が志村に住み着いて志村姓を称した。後に山梨県へ移り、志村太郎右衛門貞盈は武田信玄、その子勝頼に仕えて槍支配を勤めた。一族の志村又右衛門貞時は家中の武士の不正をただす横目衆になり、感状を五通もらったという。感状とは、手柄をたたえた賞状である。貞盈の子孫は江戸幕府に仕え、会津藩士になった者もいた。家紋は左三つ巴と立ち梶の葉をよく使う。
志村さんだが、ご先祖は第56代清和天皇(850-81)の流れをくむ清和源氏小笠原氏族の伴野六郎時長である。その子孫が志村に住み着いて志村姓を称した。後に山梨県へ移り、志村太郎右衛門貞盈は武田信玄、その子勝頼に仕えて槍支配を勤めた。一族の志村又右衛門貞時は家中の武士の不正をただす横目衆になり、感状を五通もらったという。感状とは、手柄をたたえた賞状である。貞盈の子孫は江戸幕府に仕え、会津藩士になった者もいた。家紋は左三つ巴と立ち梶の葉をよく使う。
山梨県には志村さんが多いが、その発祥地は隣県の長野県佐久市にあった志村地名だという。志村とは本村から分かれした支村、枝村のことで、そのままの文字では面白くないので、志という縁起の良い文字を当てて飾った。こういう飾り文字を佳(か)字(じ)という。北村を喜多村と書くのも、窪を久保と書くのも佳字化である。日本の苗字はこういう佳字化によって、その数をじょじょに増やしていったのだ。
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《ぱぴぃ》