特別寄稿:【蛍原】の名字由来について
特別寄稿:【蛍原】の名字由来について名字由来netや本ニュースサイトでは、多くの名字研究家や郷土史研究家にご協力いただいています。今回は、「蛍原」という名字について読者より解説の要望があったため、特別寄稿といたします。
名字・名前・家系図/家紋ニュースの名字コラムでも記載されていますが、現代名字研究の第一人者であり、名字関連の書籍を100冊以上執筆されている「丹羽基二」氏によれば日本人の名字の8割以上は地名由来の姓だとされています。名称のきっかけが地名や地名の一部からとられた例が多くあります。
日本人は血筋を大切にする世界でもまれな民族であり、わかりやすい事例では、「源平藤橘」にあげられるように、自分の先祖が源氏なのか、平氏なのか、藤原氏なのか、といったことを知りたい方が多く、計算上は1500年ごろに生きていた人のうち6人に1人が我々のご先祖様です。歴史人口学の観点からも、我々のルーツが中世の名家とつながりやすいことが証明されています。そのため、「源平藤橘」や高貴な血をルーツに持つ家が多いこともわかっています。
明治以降に「平民苗字許可令」や「平民苗字必称義務令」といったものが出来て名字を強引に名づけられたと勘違いされている方も多いですが、実際には日本の農村地域では平民でも名字をもっていた事例は数多報告されています。
現在の歴史学では、早稲田大学教授である「洞富雄」博士の研究により、江戸時代の庶民も名字を持っていたことが明らかにされました。
庶民は幕府の禁令によって公的に名字を使用することができなかったが、個人的な手紙や神社やお寺への寄進帳などには名字と名前を署名していたことも実証されました。
そもそも庶民に名字が無かったとすれば、江戸幕府が名字使用をわざわざ禁ずる法令を出す必要などなく、名字由来netや当サイトの郷土研究家、名字研究家、専門家の報告では、各地の除籍・戸籍調査や家系調査を地道に実施・研究する限り、平民の家でも、由緒正しく、当時の名字入りの署名文献、古文書が残っている家が多く存在する実態が報告されています。
「蛍原(ほとはら)」という名字も、地名姓である可能性は高いものの、地名として現在は国内に見受けられません。
しかし、当サイトの専門家による地域調査により判明したのは、大和言葉で「ほと」とは火山の噴火口などの意味や二股の地、渓谷などであり、「はら」は広い場所や開けた場所を指しています。また、「蛍イカの水揚げの地域や地形が由来」といった点です。
石川県がルーツだと考えられます。
中途半端な調査では由来を考察することは難しいため、今回は読者の要望をかなえるべく、特別解説をさせていただきました。
名字に興味ある多くの読者、ユーザーの参考になれば幸いです。
名字由来netや本ニュースサイトでは、多くの名字研究家や郷土史研究家にご協力いただいています。今回は、「蛍原」という名字について読者より解説の要望があったため、特別寄稿といたします。
名字・名前・家系図/家紋ニュースの名字コラムでも記載されていますが、現代名字研究の第一人者であり、名字関連の書籍を100冊以上執筆されている「丹羽基二」氏によれば日本人の名字の8割以上は地名由来の姓だとされています。名称のきっかけが地名や地名の一部からとられた例が多くあります。
日本人は血筋を大切にする世界でもまれな民族であり、わかりやすい事例では、「源平藤橘」にあげられるように、自分の先祖が源氏なのか、平氏なのか、藤原氏なのか、といったことを知りたい方が多く、計算上は1500年ごろに生きていた人のうち6人に1人が我々のご先祖様です。歴史人口学の観点からも、我々のルーツが中世の名家とつながりやすいことが証明されています。そのため、「源平藤橘」や高貴な血をルーツに持つ家が多いこともわかっています。