名字ランキング 第110位 山内
名字ランキング 第110位 山内名字博士と愛ちゃんが 山内姓について話しています。
「山内さんはヤマウチと読むのが正しいのか、ヤマノウチが正しいのかしら?」
「山内一豊など、全国的に有名な山内氏は相模国鎌倉郡山内荘から出ている。ここはヤマノウチと読み、現在は神奈川県鎌倉市山ノ内と書かれている。これからすると、山内氏の古名族はヤマノウチと名乗っていたことがわかるね」
「じゃ、土佐藩主になった山内一豊もヤマノウチと読むの?」
「ところが一豊の家はヤマウチと読む。そして、この家から分家した家はヤマノウチと読んで本家と区別しているんだ」
「あれれ。本来はヤマノウチなのに、本家はヤマウチなの」
「まあ長い歴史の間に読み方も変化していったというわけだ。ほかに開拓使の大書記官で後に鹿児島県知事になった山内隄(てい)雲(うん)はヤマノウチと読ませているし、兵器の国産化に尽力した広島県出身の山内万寿治海軍中将もヤマノウチだな」
「鎌倉の山内荘から出た山内氏のルーツは?」
「第三八代天智天皇の重臣藤原鎌足(六一四―六九)の流れをくむ藤原秀郷将軍の子孫といわれているが、古代豪族の末裔という異説もある。資通が山内と名乗って初代となった。その妻が源頼朝の乳母(うば)となり、子の山内経俊が頼朝に仕えて鎌倉幕府の創設にかかわったことで一気に家運が開け、一族がドッと増えた」
名字博士と愛ちゃんが 山内姓について話しています。
「山内さんはヤマウチと読むのが正しいのか、ヤマノウチが正しいのかしら?」
「山内一豊など、全国的に有名な山内氏は相模国鎌倉郡山内荘から出ている。ここはヤマノウチと読み、現在は神奈川県鎌倉市山ノ内と書かれている。これからすると、山内氏の古名族はヤマノウチと名乗っていたことがわかるね」
「じゃ、土佐藩主になった山内一豊もヤマノウチと読むの?」