名字ランキング 第19位 斎藤
名字ランキング 第19位 斎藤
2021/03/12(金) 08:30
名字博士と愛ちゃんが 斎藤姓について話しています。
「斎藤さんの斎ってなにかしら?」
「斎(さい)王(おう)の斎だよ」
「斎王って王様?」
「斎王はイツキノミコともいって、天皇が即位するとき、未婚の皇女のなかから選ばれて、伊勢神宮に一生お仕えする女性のことさ。斎宮(さいぐう)ともいい、この皇女のお世話をする役所が斎宮寮(さいぐうりょう)だった」
「昔は役所のことを寮っていったんだ」
「そう。いまは学生寮とか社員寮とかって使うけど、もともと寮とは役所のことなんだ。斎宮寮は現在の三重県多気郡明和町にあって長官の斎宮頭(さいぐうのかみ)以下一二〇名以上の職員がいた。その斎宮頭に任じられたのが藤原叙(のぶ)用(もち)。叙用は斎宮の斎と藤原の藤を組み合わせて斎藤と名乗り、退官後は本拠地の越前国(福井県)に戻って武士団の棟梁になった」
「そうなんだ」
「叙用の子孫は越前から日本海沿いに北上して東北に至った。ここで斎藤さんは爆発的に増える。東北人にとって斎宮頭だった斎藤さんは抜群のエリート。ゆかりのある者やあやかった者がこぞって斎藤さんを名乗ったんだ。盛岡藩(岩手県盛岡市)の斎藤三平は蝦夷地に渡って三平汁を考案した。その子孫が高島忠夫というが真偽は不明だ。日本ハムの斎藤祐樹は群馬県から来た斎藤さん」
「斎藤さんの斎ってなにかしら?」
「斎(さい)王(おう)の斎だよ」
「斎王って王様?」
「斎王はイツキノミコともいって、天皇が即位するとき、未婚の皇女のなかから選ばれて、伊勢神宮に一生お仕えする女性のことさ。斎宮(さいぐう)ともいい、この皇女のお世話をする役所が斎宮寮(さいぐうりょう)だった」
「昔は役所のことを寮っていったんだ」
「そう。いまは学生寮とか社員寮とかって使うけど、もともと寮とは役所のことなんだ。斎宮寮は現在の三重県多気郡明和町にあって長官の斎宮頭(さいぐうのかみ)以下一二〇名以上の職員がいた。その斎宮頭に任じられたのが藤原叙(のぶ)用(もち)。叙用は斎宮の斎と藤原の藤を組み合わせて斎藤と名乗り、退官後は本拠地の越前国(福井県)に戻って武士団の棟梁になった」
「そうなんだ」
「叙用の子孫は越前から日本海沿いに北上して東北に至った。ここで斎藤さんは爆発的に増える。東北人にとって斎宮頭だった斎藤さんは抜群のエリート。ゆかりのある者やあやかった者がこぞって斎藤さんを名乗ったんだ。盛岡藩(岩手県盛岡市)の斎藤三平は蝦夷地に渡って三平汁を考案した。その子孫が高島忠夫というが真偽は不明だ。日本ハムの斎藤祐樹は群馬県から来た斎藤さん」
名字博士と愛ちゃんが 斎藤姓について話しています。
「斎藤さんの斎ってなにかしら?」
「斎(さい)王(おう)の斎だよ」
「斎王って王様?」
「斎王はイツキノミコともいって、天皇が即位するとき、未婚の皇女のなかから選ばれて、伊勢神宮に一生お仕えする女性のことさ。斎宮(さいぐう)ともいい、この皇女のお世話をする役所が斎宮寮(さいぐうりょう)だった」
「昔は役所のことを寮っていったんだ」
「そう。いまは学生寮とか社員寮とかって使うけど、もともと寮とは役所のことなんだ。斎宮寮は現在の三重県多気郡明和町にあって長官の斎宮頭(さいぐうのかみ)以下一二〇名以上の職員がいた。その斎宮頭に任じられたのが藤原叙(のぶ)用(もち)。叙用は斎宮の斎と藤原の藤を組み合わせて斎藤と名乗り、退官後は本拠地の越前国(福井県)に戻って武士団の棟梁になった」
「そうなんだ」
「叙用の子孫は越前から日本海沿いに北上して東北に至った。ここで斎藤さんは爆発的に増える。東北人にとって斎宮頭だった斎藤さんは抜群のエリート。ゆかりのある者やあやかった者がこぞって斎藤さんを名乗ったんだ。盛岡藩(岩手県盛岡市)の斎藤三平は蝦夷地に渡って三平汁を考案した。その子孫が高島忠夫というが真偽は不明だ。日本ハムの斎藤祐樹は群馬県から来た斎藤さん」
「斎藤さんの斎ってなにかしら?」
「斎(さい)王(おう)の斎だよ」
「斎王って王様?」
「斎王はイツキノミコともいって、天皇が即位するとき、未婚の皇女のなかから選ばれて、伊勢神宮に一生お仕えする女性のことさ。斎宮(さいぐう)ともいい、この皇女のお世話をする役所が斎宮寮(さいぐうりょう)だった」
「昔は役所のことを寮っていったんだ」
「そう。いまは学生寮とか社員寮とかって使うけど、もともと寮とは役所のことなんだ。斎宮寮は現在の三重県多気郡明和町にあって長官の斎宮頭(さいぐうのかみ)以下一二〇名以上の職員がいた。その斎宮頭に任じられたのが藤原叙(のぶ)用(もち)。叙用は斎宮の斎と藤原の藤を組み合わせて斎藤と名乗り、退官後は本拠地の越前国(福井県)に戻って武士団の棟梁になった」
「そうなんだ」
「叙用の子孫は越前から日本海沿いに北上して東北に至った。ここで斎藤さんは爆発的に増える。東北人にとって斎宮頭だった斎藤さんは抜群のエリート。ゆかりのある者やあやかった者がこぞって斎藤さんを名乗ったんだ。盛岡藩(岩手県盛岡市)の斎藤三平は蝦夷地に渡って三平汁を考案した。その子孫が高島忠夫というが真偽は不明だ。日本ハムの斎藤祐樹は群馬県から来た斎藤さん」
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