江戸時代の庶民は名字使用を厳しく禁じられていた
江戸時代の庶民は名字使用を厳しく禁じられていた
2020/07/03(金) 08:30
これまで述べたように名字はもともと名字地という土地に由来し、その土地の領主であることの証だった。ところがそれは年月とともになし崩し的にくずれ去り、名字地の領主ではない者までが名字を名乗るような世の中になってしまったんだ。そうなると、人々が名乗っている名字は本来の名字とは異なるものになってしまったわけだから、新しい表現が必要になってくる。そこで生まれたのが苗字だった。
苗字とは「祖先を同じくする」「血筋が同じ」という意味である。
苗字は名字に比べると意味が広いため、現在われわれが使っている全てのファミリーネームをカバーすることができる。
江戸時代(1603-1867)のファミリーネームが中世の名字とは異なることに気づいていた幕府や学者も、苗字の文字を使うようになった。名字帯刀という言葉がある。名主(村長)など一部の庶民が幕府や藩の許しをえてファミリーネームと大小の刀を腰に差すことである。藩の記録では名字帯刀と書かれたものもあるが、幕府は一貫して苗字帯刀と表現した。
江戸時代の農村生活の実態をうかがい知れる好資料として『地方(じかた)凡例録(はんれいろく)』がある。この本を読むと、農民の苗字使用がいかに厳しく取り締まられていたかが分かる。たとえば高貴な家柄の子孫や元武士であった浪人も苗字の使用を禁止されていた。「何程(なにほど)由緒正しく、先祖は高貴の末葉であっても民間に落(おち)ては苗字帯刀は決して相成らず」とあり、また「浪人にて村方に仮(かり)に住居(すまい)する者も、宗門帳に加ふれば、武士の浪人たりとも決して苗字帯刀は相成らざること」とある。
こんな厳しい使用制限のなかで、苗字帯刀を許されていた庶民は次のような人たちだった。
・郷士など由緒ある武士の末裔で、居住地を支配する地頭や代官の許しを得た者。
・褒賞として新たに苗字を許された者。たとえば一揆の情報をお上(かみ)(役所)に通報した者や親孝行を表彰された者、貧民を救済した者、献金や奇特な活動をした者など。苗字帯刀を許された者の身分が低い時には、名字の継承のみが許され、帯刀は一代限りとされた。また大小を帯びず、脇差だけを用いるように申し渡されることもあった。
・町年寄、庄屋、名主、肝煎(きもいり)、御用達の町人、宿場の本陣などの役についている者のうち、苗字使用を許された者。
・神社の神主や医者のうち京都の白川・吉田両家から許状を与えられた者。これらの者は日常生活では他の農民と同じように「権兵衛」のような名前を名乗っていたが、許可を受けている仕事に従事する時には「高橋信濃正」や「吉田東庵」のように苗字を名乗った。
たとえ苗字帯刀を許されても、宗門人別改帳や検地帳、借用証文などのような公的文書にはなるべく使わず、家蔵の家系図や墓石のような私的なものに限って使うのが一般的だった。それだけ武士に遠慮していたわけである。
苗字とは「祖先を同じくする」「血筋が同じ」という意味である。
苗字は名字に比べると意味が広いため、現在われわれが使っている全てのファミリーネームをカバーすることができる。
江戸時代(1603-1867)のファミリーネームが中世の名字とは異なることに気づいていた幕府や学者も、苗字の文字を使うようになった。名字帯刀という言葉がある。名主(村長)など一部の庶民が幕府や藩の許しをえてファミリーネームと大小の刀を腰に差すことである。藩の記録では名字帯刀と書かれたものもあるが、幕府は一貫して苗字帯刀と表現した。
江戸時代の農村生活の実態をうかがい知れる好資料として『地方(じかた)凡例録(はんれいろく)』がある。この本を読むと、農民の苗字使用がいかに厳しく取り締まられていたかが分かる。たとえば高貴な家柄の子孫や元武士であった浪人も苗字の使用を禁止されていた。「何程(なにほど)由緒正しく、先祖は高貴の末葉であっても民間に落(おち)ては苗字帯刀は決して相成らず」とあり、また「浪人にて村方に仮(かり)に住居(すまい)する者も、宗門帳に加ふれば、武士の浪人たりとも決して苗字帯刀は相成らざること」とある。
こんな厳しい使用制限のなかで、苗字帯刀を許されていた庶民は次のような人たちだった。
・郷士など由緒ある武士の末裔で、居住地を支配する地頭や代官の許しを得た者。
・褒賞として新たに苗字を許された者。たとえば一揆の情報をお上(かみ)(役所)に通報した者や親孝行を表彰された者、貧民を救済した者、献金や奇特な活動をした者など。苗字帯刀を許された者の身分が低い時には、名字の継承のみが許され、帯刀は一代限りとされた。また大小を帯びず、脇差だけを用いるように申し渡されることもあった。
・町年寄、庄屋、名主、肝煎(きもいり)、御用達の町人、宿場の本陣などの役についている者のうち、苗字使用を許された者。
・神社の神主や医者のうち京都の白川・吉田両家から許状を与えられた者。これらの者は日常生活では他の農民と同じように「権兵衛」のような名前を名乗っていたが、許可を受けている仕事に従事する時には「高橋信濃正」や「吉田東庵」のように苗字を名乗った。
たとえ苗字帯刀を許されても、宗門人別改帳や検地帳、借用証文などのような公的文書にはなるべく使わず、家蔵の家系図や墓石のような私的なものに限って使うのが一般的だった。それだけ武士に遠慮していたわけである。
これまで述べたように名字はもともと名字地という土地に由来し、その土地の領主であることの証だった。ところがそれは年月とともになし崩し的にくずれ去り、名字地の領主ではない者までが名字を名乗るような世の中になってしまったんだ。そうなると、人々が名乗っている名字は本来の名字とは異なるものになってしまったわけだから、新しい表現が必要になってくる。そこで生まれたのが苗字だった。
苗字とは「祖先を同じくする」「血筋が同じ」という意味である。
苗字は名字に比べると意味が広いため、現在われわれが使っている全てのファミリーネームをカバーすることができる。
江戸時代(1603-1867)のファミリーネームが中世の名字とは異なることに気づいていた幕府や学者も、苗字の文字を使うようになった。名字帯刀という言葉がある。名主(村長)など一部の庶民が幕府や藩の許しをえてファミリーネームと大小の刀を腰に差すことである。藩の記録では名字帯刀と書かれたものもあるが、幕府は一貫して苗字帯刀と表現した。
江戸時代の農村生活の実態をうかがい知れる好資料として『地方(じかた)凡例録(はんれいろく)』がある。この本を読むと、農民の苗字使用がいかに厳しく取り締まられていたかが分かる。たとえば高貴な家柄の子孫や元武士であった浪人も苗字の使用を禁止されていた。「何程(なにほど)由緒正しく、先祖は高貴の末葉であっても民間に落(おち)ては苗字帯刀は決して相成らず」とあり、また「浪人にて村方に仮(かり)に住居(すまい)する者も、宗門帳に加ふれば、武士の浪人たりとも決して苗字帯刀は相成らざること」とある。
こんな厳しい使用制限のなかで、苗字帯刀を許されていた庶民は次のような人たちだった。
・郷士など由緒ある武士の末裔で、居住地を支配する地頭や代官の許しを得た者。
・褒賞として新たに苗字を許された者。たとえば一揆の情報をお上(かみ)(役所)に通報した者や親孝行を表彰された者、貧民を救済した者、献金や奇特な活動をした者など。苗字帯刀を許された者の身分が低い時には、名字の継承のみが許され、帯刀は一代限りとされた。また大小を帯びず、脇差だけを用いるように申し渡されることもあった。
・町年寄、庄屋、名主、肝煎(きもいり)、御用達の町人、宿場の本陣などの役についている者のうち、苗字使用を許された者。
・神社の神主や医者のうち京都の白川・吉田両家から許状を与えられた者。これらの者は日常生活では他の農民と同じように「権兵衛」のような名前を名乗っていたが、許可を受けている仕事に従事する時には「高橋信濃正」や「吉田東庵」のように苗字を名乗った。
たとえ苗字帯刀を許されても、宗門人別改帳や検地帳、借用証文などのような公的文書にはなるべく使わず、家蔵の家系図や墓石のような私的なものに限って使うのが一般的だった。それだけ武士に遠慮していたわけである。
苗字とは「祖先を同じくする」「血筋が同じ」という意味である。
苗字は名字に比べると意味が広いため、現在われわれが使っている全てのファミリーネームをカバーすることができる。
江戸時代(1603-1867)のファミリーネームが中世の名字とは異なることに気づいていた幕府や学者も、苗字の文字を使うようになった。名字帯刀という言葉がある。名主(村長)など一部の庶民が幕府や藩の許しをえてファミリーネームと大小の刀を腰に差すことである。藩の記録では名字帯刀と書かれたものもあるが、幕府は一貫して苗字帯刀と表現した。
江戸時代の農村生活の実態をうかがい知れる好資料として『地方(じかた)凡例録(はんれいろく)』がある。この本を読むと、農民の苗字使用がいかに厳しく取り締まられていたかが分かる。たとえば高貴な家柄の子孫や元武士であった浪人も苗字の使用を禁止されていた。「何程(なにほど)由緒正しく、先祖は高貴の末葉であっても民間に落(おち)ては苗字帯刀は決して相成らず」とあり、また「浪人にて村方に仮(かり)に住居(すまい)する者も、宗門帳に加ふれば、武士の浪人たりとも決して苗字帯刀は相成らざること」とある。
こんな厳しい使用制限のなかで、苗字帯刀を許されていた庶民は次のような人たちだった。
・郷士など由緒ある武士の末裔で、居住地を支配する地頭や代官の許しを得た者。
・褒賞として新たに苗字を許された者。たとえば一揆の情報をお上(かみ)(役所)に通報した者や親孝行を表彰された者、貧民を救済した者、献金や奇特な活動をした者など。苗字帯刀を許された者の身分が低い時には、名字の継承のみが許され、帯刀は一代限りとされた。また大小を帯びず、脇差だけを用いるように申し渡されることもあった。
・町年寄、庄屋、名主、肝煎(きもいり)、御用達の町人、宿場の本陣などの役についている者のうち、苗字使用を許された者。
・神社の神主や医者のうち京都の白川・吉田両家から許状を与えられた者。これらの者は日常生活では他の農民と同じように「権兵衛」のような名前を名乗っていたが、許可を受けている仕事に従事する時には「高橋信濃正」や「吉田東庵」のように苗字を名乗った。
たとえ苗字帯刀を許されても、宗門人別改帳や検地帳、借用証文などのような公的文書にはなるべく使わず、家蔵の家系図や墓石のような私的なものに限って使うのが一般的だった。それだけ武士に遠慮していたわけである。
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