全国名字めぐりの旅 第37回 秋田県(11)
全国名字めぐりの旅 第37回 秋田県(11)
2021/02/08(月) 08:30
全国の浅利さんの分布を調べてみると、たしかに秋田県と青森県に多く、この地域だけで約40%に及ぶ。
どうして秋田県には浅利さんが多いのだろうか。
そのいわれを知るには、遠く鎌倉時代の奥州藤原氏討伐までさかのぼらなければならない。
そもそも浅利という名字の発祥地は甲斐国(山梨県)である。
第56代清和天皇の流れをくむ清和源氏・新羅(しんら)三郎義光の子孫が甲斐国に住み着き、子や孫がそれぞれが本拠地を置いた地名を名字にして武田や小笠原、逸見などと名乗った。
このうち義成という者が浅利村に館を建てて浅利与市と称したのが、全国の浅利家の始まりである。
その子孫は代々、浅利与市と名乗り、鎌倉初期、奥州の藤原氏討伐に参加し、軍功をあげて現在の秋田県大館市比内に領地を賜わった。
時代は下り、鎌倉後期から戦国時代にかけて甲斐の浅利一族が戦乱を避けて、この比内へ逃れてくる。
そして比内に独鈷(とっこ)城を築いて本拠地と定めたが、戦国末期の浅利与市頼平のとき、近隣の秋田氏に攻められて滅亡した。
頼平の遺児たちは秋田藩主佐竹氏に召抱えられたが、一族は各地へ散った。
家紋は古くは扇(おうぎ)紋を使っていたが、秋田県へ移住した後は「雁金(かりがね)」と「違い矢」を使う家が多い。
どうして秋田県には浅利さんが多いのだろうか。
そのいわれを知るには、遠く鎌倉時代の奥州藤原氏討伐までさかのぼらなければならない。
そもそも浅利という名字の発祥地は甲斐国(山梨県)である。
第56代清和天皇の流れをくむ清和源氏・新羅(しんら)三郎義光の子孫が甲斐国に住み着き、子や孫がそれぞれが本拠地を置いた地名を名字にして武田や小笠原、逸見などと名乗った。
このうち義成という者が浅利村に館を建てて浅利与市と称したのが、全国の浅利家の始まりである。
その子孫は代々、浅利与市と名乗り、鎌倉初期、奥州の藤原氏討伐に参加し、軍功をあげて現在の秋田県大館市比内に領地を賜わった。
時代は下り、鎌倉後期から戦国時代にかけて甲斐の浅利一族が戦乱を避けて、この比内へ逃れてくる。
そして比内に独鈷(とっこ)城を築いて本拠地と定めたが、戦国末期の浅利与市頼平のとき、近隣の秋田氏に攻められて滅亡した。
頼平の遺児たちは秋田藩主佐竹氏に召抱えられたが、一族は各地へ散った。
家紋は古くは扇(おうぎ)紋を使っていたが、秋田県へ移住した後は「雁金(かりがね)」と「違い矢」を使う家が多い。
全国の浅利さんの分布を調べてみると、たしかに秋田県と青森県に多く、この地域だけで約40%に及ぶ。
どうして秋田県には浅利さんが多いのだろうか。
そのいわれを知るには、遠く鎌倉時代の奥州藤原氏討伐までさかのぼらなければならない。
そもそも浅利という名字の発祥地は甲斐国(山梨県)である。
第56代清和天皇の流れをくむ清和源氏・新羅(しんら)三郎義光の子孫が甲斐国に住み着き、子や孫がそれぞれが本拠地を置いた地名を名字にして武田や小笠原、逸見などと名乗った。
このうち義成という者が浅利村に館を建てて浅利与市と称したのが、全国の浅利家の始まりである。
その子孫は代々、浅利与市と名乗り、鎌倉初期、奥州の藤原氏討伐に参加し、軍功をあげて現在の秋田県大館市比内に領地を賜わった。
時代は下り、鎌倉後期から戦国時代にかけて甲斐の浅利一族が戦乱を避けて、この比内へ逃れてくる。
そして比内に独鈷(とっこ)城を築いて本拠地と定めたが、戦国末期の浅利与市頼平のとき、近隣の秋田氏に攻められて滅亡した。
頼平の遺児たちは秋田藩主佐竹氏に召抱えられたが、一族は各地へ散った。
家紋は古くは扇(おうぎ)紋を使っていたが、秋田県へ移住した後は「雁金(かりがね)」と「違い矢」を使う家が多い。
どうして秋田県には浅利さんが多いのだろうか。
そのいわれを知るには、遠く鎌倉時代の奥州藤原氏討伐までさかのぼらなければならない。
そもそも浅利という名字の発祥地は甲斐国(山梨県)である。
第56代清和天皇の流れをくむ清和源氏・新羅(しんら)三郎義光の子孫が甲斐国に住み着き、子や孫がそれぞれが本拠地を置いた地名を名字にして武田や小笠原、逸見などと名乗った。
このうち義成という者が浅利村に館を建てて浅利与市と称したのが、全国の浅利家の始まりである。
その子孫は代々、浅利与市と名乗り、鎌倉初期、奥州の藤原氏討伐に参加し、軍功をあげて現在の秋田県大館市比内に領地を賜わった。
時代は下り、鎌倉後期から戦国時代にかけて甲斐の浅利一族が戦乱を避けて、この比内へ逃れてくる。
そして比内に独鈷(とっこ)城を築いて本拠地と定めたが、戦国末期の浅利与市頼平のとき、近隣の秋田氏に攻められて滅亡した。
頼平の遺児たちは秋田藩主佐竹氏に召抱えられたが、一族は各地へ散った。
家紋は古くは扇(おうぎ)紋を使っていたが、秋田県へ移住した後は「雁金(かりがね)」と「違い矢」を使う家が多い。
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《ぱぴぃ》