名字の始まりは公家と武士で違う
名字の始まりは公家と武士で違う
2020/06/15(月) 08:30
名字がいつごろ登場したのかは論争の的である。
一般的には平安後期(12世紀後半)ごろ、関東にいた武士団が初めて名乗ったとされているが、もっと以前からあったかも知れない。そのへんのところは正直、まだよく分かっていない。紀元前の縄文時代からあったとか、朝鮮・中国の渡来民が使い始めたという研究者もいるが、現時点では奇説あつかいされている。とはいえ、案外こういう説が事実の一面をついている可能性もある。
ここでは通説を紹介するが、名字の始まりは公家と武家では異なっている。
公家の場合は、同じ氏を使う人が増えすぎて、個々を識別する符丁としての役割を果たさなくなった。藤原氏がその典型である。上級貴族から下級官僚まで、藤原一門が独占した。そうなると朝廷では右を見ても、左を見ても藤原氏ばかり。これでは不便極まりない。そこで自分の屋敷がある場所の地名を家号として使い始めた。たとえば藤原嫡流の関白藤原基実は京の近衛北室町に屋敷があったので近衛家と称し、弟で摂政となった兼実は九条富小路に屋敷があったので九条家と称した。近衛家や九条家は明治時代に公爵を賜り、現在まで続いている。
武家の場合は、支配する土地との関係から名字が生まれた。
ある土地を自分のものにした武士は、その土地の地名を名字にしたのである。このような土地を名字地(みょうじのち)(本貫地)といい、その地を命がけで守ることから一所(生)懸命という言葉が生まれた。自分の土地の地名を名字にすることは、その土地の所有権を世間に向かって主張することである。すなわち名字地を持ち、名字を名乗っている武士はひとかどの「もののふ」であり、武士団の首領だったわけである。一方、名字を持たない武士は、名字を持つ武士の家来だった。
ただし武士の名字が必ずしも名字地にちなむとは限らない。それ以外の由来で生まれた名字もあった。その代表が藤原系武士の名字である。藤原氏のうち中央で要職につけなかった者は地方に赴いて武士となった。そのとき国名や官職名にちなんだ名字を創作したのである。たとえば御所を警備する左衛門尉(さえもんのじょう)になった者は佐藤、伊勢国(三重県)や伊豆国(静岡県)の藤原氏は伊藤、伊勢神宮に奉仕する皇女斎宮(さいぐう)の世話をする斎宮寮(さいぐうのりょう)の長官となった藤原氏は斎藤と名乗った。○藤と書くのが特徴で、世に三十二藤などといって、後世おおいに広まった。
一般的には平安後期(12世紀後半)ごろ、関東にいた武士団が初めて名乗ったとされているが、もっと以前からあったかも知れない。そのへんのところは正直、まだよく分かっていない。紀元前の縄文時代からあったとか、朝鮮・中国の渡来民が使い始めたという研究者もいるが、現時点では奇説あつかいされている。とはいえ、案外こういう説が事実の一面をついている可能性もある。
ここでは通説を紹介するが、名字の始まりは公家と武家では異なっている。
公家の場合は、同じ氏を使う人が増えすぎて、個々を識別する符丁としての役割を果たさなくなった。藤原氏がその典型である。上級貴族から下級官僚まで、藤原一門が独占した。そうなると朝廷では右を見ても、左を見ても藤原氏ばかり。これでは不便極まりない。そこで自分の屋敷がある場所の地名を家号として使い始めた。たとえば藤原嫡流の関白藤原基実は京の近衛北室町に屋敷があったので近衛家と称し、弟で摂政となった兼実は九条富小路に屋敷があったので九条家と称した。近衛家や九条家は明治時代に公爵を賜り、現在まで続いている。
武家の場合は、支配する土地との関係から名字が生まれた。
ある土地を自分のものにした武士は、その土地の地名を名字にしたのである。このような土地を名字地(みょうじのち)(本貫地)といい、その地を命がけで守ることから一所(生)懸命という言葉が生まれた。自分の土地の地名を名字にすることは、その土地の所有権を世間に向かって主張することである。すなわち名字地を持ち、名字を名乗っている武士はひとかどの「もののふ」であり、武士団の首領だったわけである。一方、名字を持たない武士は、名字を持つ武士の家来だった。
ただし武士の名字が必ずしも名字地にちなむとは限らない。それ以外の由来で生まれた名字もあった。その代表が藤原系武士の名字である。藤原氏のうち中央で要職につけなかった者は地方に赴いて武士となった。そのとき国名や官職名にちなんだ名字を創作したのである。たとえば御所を警備する左衛門尉(さえもんのじょう)になった者は佐藤、伊勢国(三重県)や伊豆国(静岡県)の藤原氏は伊藤、伊勢神宮に奉仕する皇女斎宮(さいぐう)の世話をする斎宮寮(さいぐうのりょう)の長官となった藤原氏は斎藤と名乗った。○藤と書くのが特徴で、世に三十二藤などといって、後世おおいに広まった。
名字がいつごろ登場したのかは論争の的である。
一般的には平安後期(12世紀後半)ごろ、関東にいた武士団が初めて名乗ったとされているが、もっと以前からあったかも知れない。そのへんのところは正直、まだよく分かっていない。紀元前の縄文時代からあったとか、朝鮮・中国の渡来民が使い始めたという研究者もいるが、現時点では奇説あつかいされている。とはいえ、案外こういう説が事実の一面をついている可能性もある。
ここでは通説を紹介するが、名字の始まりは公家と武家では異なっている。
公家の場合は、同じ氏を使う人が増えすぎて、個々を識別する符丁としての役割を果たさなくなった。藤原氏がその典型である。上級貴族から下級官僚まで、藤原一門が独占した。そうなると朝廷では右を見ても、左を見ても藤原氏ばかり。これでは不便極まりない。そこで自分の屋敷がある場所の地名を家号として使い始めた。たとえば藤原嫡流の関白藤原基実は京の近衛北室町に屋敷があったので近衛家と称し、弟で摂政となった兼実は九条富小路に屋敷があったので九条家と称した。近衛家や九条家は明治時代に公爵を賜り、現在まで続いている。
武家の場合は、支配する土地との関係から名字が生まれた。
ある土地を自分のものにした武士は、その土地の地名を名字にしたのである。このような土地を名字地(みょうじのち)(本貫地)といい、その地を命がけで守ることから一所(生)懸命という言葉が生まれた。自分の土地の地名を名字にすることは、その土地の所有権を世間に向かって主張することである。すなわち名字地を持ち、名字を名乗っている武士はひとかどの「もののふ」であり、武士団の首領だったわけである。一方、名字を持たない武士は、名字を持つ武士の家来だった。
ただし武士の名字が必ずしも名字地にちなむとは限らない。それ以外の由来で生まれた名字もあった。その代表が藤原系武士の名字である。藤原氏のうち中央で要職につけなかった者は地方に赴いて武士となった。そのとき国名や官職名にちなんだ名字を創作したのである。たとえば御所を警備する左衛門尉(さえもんのじょう)になった者は佐藤、伊勢国(三重県)や伊豆国(静岡県)の藤原氏は伊藤、伊勢神宮に奉仕する皇女斎宮(さいぐう)の世話をする斎宮寮(さいぐうのりょう)の長官となった藤原氏は斎藤と名乗った。○藤と書くのが特徴で、世に三十二藤などといって、後世おおいに広まった。
一般的には平安後期(12世紀後半)ごろ、関東にいた武士団が初めて名乗ったとされているが、もっと以前からあったかも知れない。そのへんのところは正直、まだよく分かっていない。紀元前の縄文時代からあったとか、朝鮮・中国の渡来民が使い始めたという研究者もいるが、現時点では奇説あつかいされている。とはいえ、案外こういう説が事実の一面をついている可能性もある。
ここでは通説を紹介するが、名字の始まりは公家と武家では異なっている。
公家の場合は、同じ氏を使う人が増えすぎて、個々を識別する符丁としての役割を果たさなくなった。藤原氏がその典型である。上級貴族から下級官僚まで、藤原一門が独占した。そうなると朝廷では右を見ても、左を見ても藤原氏ばかり。これでは不便極まりない。そこで自分の屋敷がある場所の地名を家号として使い始めた。たとえば藤原嫡流の関白藤原基実は京の近衛北室町に屋敷があったので近衛家と称し、弟で摂政となった兼実は九条富小路に屋敷があったので九条家と称した。近衛家や九条家は明治時代に公爵を賜り、現在まで続いている。
武家の場合は、支配する土地との関係から名字が生まれた。
ある土地を自分のものにした武士は、その土地の地名を名字にしたのである。このような土地を名字地(みょうじのち)(本貫地)といい、その地を命がけで守ることから一所(生)懸命という言葉が生まれた。自分の土地の地名を名字にすることは、その土地の所有権を世間に向かって主張することである。すなわち名字地を持ち、名字を名乗っている武士はひとかどの「もののふ」であり、武士団の首領だったわけである。一方、名字を持たない武士は、名字を持つ武士の家来だった。
ただし武士の名字が必ずしも名字地にちなむとは限らない。それ以外の由来で生まれた名字もあった。その代表が藤原系武士の名字である。藤原氏のうち中央で要職につけなかった者は地方に赴いて武士となった。そのとき国名や官職名にちなんだ名字を創作したのである。たとえば御所を警備する左衛門尉(さえもんのじょう)になった者は佐藤、伊勢国(三重県)や伊豆国(静岡県)の藤原氏は伊藤、伊勢神宮に奉仕する皇女斎宮(さいぐう)の世話をする斎宮寮(さいぐうのりょう)の長官となった藤原氏は斎藤と名乗った。○藤と書くのが特徴で、世に三十二藤などといって、後世おおいに広まった。
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