ルーツを知ると人は癒される
ルーツを知ると人は癒される
2020/09/04(金) 08:30
以前、ルーツ調べや自分史を書くのは老人の趣味と思われがちだったが、近ごろでは若年層にも広がりつつある。
NHKの番組『ファミリーヒストリー』の影響も大きいだろう。
ある講演のあと、四十代前半の男性がやって来て「自分の高校生の娘はルーツ調べを通じて登校拒否を克服しました」と語った。
興味深い話なので、じっくりと聞いてみると、その男性の娘さんが中学二年生のとき、イジメにあって登校拒否になってしまったという。
親としては心を閉ざし、部屋に籠もるわが子の心を理解することほど難しいことはない。
この男性も必死に娘と話し合いを持とうとしたが、それまで娘に無関心だった父親が急に娘の心のドアを開けようと思っても、娘は頑なに心を閉ざすばかりだった。
途方に暮れていたとき、男性の父親、娘にとっては祖父がふらりとやって来て、最近家系を調べていると語った。
それから頻繁に祖父は来ると、家系調査の成果を楽しそうに話し、あるとき引きこもっている孫娘にちょっと手伝ってくれんかと持ちかけた。
娘は戸惑っていたが、次の日から祖父の調査を手伝うようになったという。
半年後、祖父と孫娘は祖先の足跡をたどる旅に出た。
そのあたりから娘に変化が現れ始めた。
自分から両親に話しかけ、自分の生まれたころのことや両親の子供時代の話を聞きたがったというのだ。
そして江戸時代初期までの家系図が完成した後、娘は学校に通うようになり、高校受験の勉強も始めた。
何が彼女をそうさせたのか、わたしは男性に訊ねてみた。
すると「娘がいうにはおじいちゃんと先祖を調べるうちに、壮絶な飢饉を生き抜いた先祖、大津波で家族の大半を失った先祖など、自分の想像もできないような苦しみや悲しみにじっと耐えた先祖のことを知って、なんだか自分も強くなれたような気がした」といい、また「枝葉のように書き込まれた家系図を見ているうちに、両親を通じて自分も彼らの一族なんだと気づき、急に家族が身近に感じられ、大切な存在なんだと改めて思った」と娘が話していたという。
不登校児や引きこもりの若者たちが見失っている一番大切なものは、家族との心のつながりである。
それを言葉で理解させることは難しいが、家系図を作製することを通じて、家族という血のつながった存在を改めて見つめ直し、理解することができるのだ。
今後は不登校児や引きこもりの人達にも積極的にルーツ調べを勧めて行きたいと思っている。
また特養老人ホームにいる高齢者に生きがいを与えるのにもルーツ調べは有益である。
こんな話もある。
樺太生まれのAさんという方から手紙をもらった。
十代の時に父親を亡くしたという。
その父も早く両親と死別しているので、母やAさんは自分のルーツがどこなのかを何も知らされていなかった。
父も生前、自分のルーツがどこなかのか気にしていたという。
Aさんも年を取ってルーツが気になり始め、父親の除籍謄本を取り寄せてみたが、樺太時代のものは失われていた。
そのため本州のどこから樺太へ渡ったのかが皆目分からないので、何とか知る方法はないかというものだった。
わたしはAさんの名字が珍しいものだったので、全国のハローページを使ってAさんの名字の分布状況を調べてみると、栃木県のある地域にしか存在しない名字であることが判明した。
さっそくそのことをお知らせすると、数日後、返信が来た。
そこにはわたしの手紙が届いた日、Aさんの母が亡くなったとあった。
意識が混濁している母の耳元で、Aさんがわたしの手紙を大きな声で読むと、母は涙を流し、かぼそい声で「お父さんにも教えてあげるね」と言い残し、息絶えたという。
わたしにとってAさんに伝えた情報はほんのささいなものでしかなかったが、そんなものであってもこんなに喜んでくれる人がいることを知り、うれしさとともに身の引き締まる思いがしたものだ。
NHKの番組『ファミリーヒストリー』の影響も大きいだろう。
ある講演のあと、四十代前半の男性がやって来て「自分の高校生の娘はルーツ調べを通じて登校拒否を克服しました」と語った。
興味深い話なので、じっくりと聞いてみると、その男性の娘さんが中学二年生のとき、イジメにあって登校拒否になってしまったという。
親としては心を閉ざし、部屋に籠もるわが子の心を理解することほど難しいことはない。
この男性も必死に娘と話し合いを持とうとしたが、それまで娘に無関心だった父親が急に娘の心のドアを開けようと思っても、娘は頑なに心を閉ざすばかりだった。
途方に暮れていたとき、男性の父親、娘にとっては祖父がふらりとやって来て、最近家系を調べていると語った。
それから頻繁に祖父は来ると、家系調査の成果を楽しそうに話し、あるとき引きこもっている孫娘にちょっと手伝ってくれんかと持ちかけた。
娘は戸惑っていたが、次の日から祖父の調査を手伝うようになったという。
半年後、祖父と孫娘は祖先の足跡をたどる旅に出た。
そのあたりから娘に変化が現れ始めた。
自分から両親に話しかけ、自分の生まれたころのことや両親の子供時代の話を聞きたがったというのだ。
そして江戸時代初期までの家系図が完成した後、娘は学校に通うようになり、高校受験の勉強も始めた。
何が彼女をそうさせたのか、わたしは男性に訊ねてみた。
すると「娘がいうにはおじいちゃんと先祖を調べるうちに、壮絶な飢饉を生き抜いた先祖、大津波で家族の大半を失った先祖など、自分の想像もできないような苦しみや悲しみにじっと耐えた先祖のことを知って、なんだか自分も強くなれたような気がした」といい、また「枝葉のように書き込まれた家系図を見ているうちに、両親を通じて自分も彼らの一族なんだと気づき、急に家族が身近に感じられ、大切な存在なんだと改めて思った」と娘が話していたという。
不登校児や引きこもりの若者たちが見失っている一番大切なものは、家族との心のつながりである。
それを言葉で理解させることは難しいが、家系図を作製することを通じて、家族という血のつながった存在を改めて見つめ直し、理解することができるのだ。
今後は不登校児や引きこもりの人達にも積極的にルーツ調べを勧めて行きたいと思っている。
また特養老人ホームにいる高齢者に生きがいを与えるのにもルーツ調べは有益である。
こんな話もある。
樺太生まれのAさんという方から手紙をもらった。
十代の時に父親を亡くしたという。
その父も早く両親と死別しているので、母やAさんは自分のルーツがどこなのかを何も知らされていなかった。
父も生前、自分のルーツがどこなかのか気にしていたという。
Aさんも年を取ってルーツが気になり始め、父親の除籍謄本を取り寄せてみたが、樺太時代のものは失われていた。
そのため本州のどこから樺太へ渡ったのかが皆目分からないので、何とか知る方法はないかというものだった。
わたしはAさんの名字が珍しいものだったので、全国のハローページを使ってAさんの名字の分布状況を調べてみると、栃木県のある地域にしか存在しない名字であることが判明した。
さっそくそのことをお知らせすると、数日後、返信が来た。
そこにはわたしの手紙が届いた日、Aさんの母が亡くなったとあった。
意識が混濁している母の耳元で、Aさんがわたしの手紙を大きな声で読むと、母は涙を流し、かぼそい声で「お父さんにも教えてあげるね」と言い残し、息絶えたという。
わたしにとってAさんに伝えた情報はほんのささいなものでしかなかったが、そんなものであってもこんなに喜んでくれる人がいることを知り、うれしさとともに身の引き締まる思いがしたものだ。
以前、ルーツ調べや自分史を書くのは老人の趣味と思われがちだったが、近ごろでは若年層にも広がりつつある。
NHKの番組『ファミリーヒストリー』の影響も大きいだろう。
ある講演のあと、四十代前半の男性がやって来て「自分の高校生の娘はルーツ調べを通じて登校拒否を克服しました」と語った。
興味深い話なので、じっくりと聞いてみると、その男性の娘さんが中学二年生のとき、イジメにあって登校拒否になってしまったという。
親としては心を閉ざし、部屋に籠もるわが子の心を理解することほど難しいことはない。
この男性も必死に娘と話し合いを持とうとしたが、それまで娘に無関心だった父親が急に娘の心のドアを開けようと思っても、娘は頑なに心を閉ざすばかりだった。
途方に暮れていたとき、男性の父親、娘にとっては祖父がふらりとやって来て、最近家系を調べていると語った。
それから頻繁に祖父は来ると、家系調査の成果を楽しそうに話し、あるとき引きこもっている孫娘にちょっと手伝ってくれんかと持ちかけた。
娘は戸惑っていたが、次の日から祖父の調査を手伝うようになったという。
半年後、祖父と孫娘は祖先の足跡をたどる旅に出た。
そのあたりから娘に変化が現れ始めた。
自分から両親に話しかけ、自分の生まれたころのことや両親の子供時代の話を聞きたがったというのだ。
そして江戸時代初期までの家系図が完成した後、娘は学校に通うようになり、高校受験の勉強も始めた。
何が彼女をそうさせたのか、わたしは男性に訊ねてみた。
すると「娘がいうにはおじいちゃんと先祖を調べるうちに、壮絶な飢饉を生き抜いた先祖、大津波で家族の大半を失った先祖など、自分の想像もできないような苦しみや悲しみにじっと耐えた先祖のことを知って、なんだか自分も強くなれたような気がした」といい、また「枝葉のように書き込まれた家系図を見ているうちに、両親を通じて自分も彼らの一族なんだと気づき、急に家族が身近に感じられ、大切な存在なんだと改めて思った」と娘が話していたという。
不登校児や引きこもりの若者たちが見失っている一番大切なものは、家族との心のつながりである。
それを言葉で理解させることは難しいが、家系図を作製することを通じて、家族という血のつながった存在を改めて見つめ直し、理解することができるのだ。
今後は不登校児や引きこもりの人達にも積極的にルーツ調べを勧めて行きたいと思っている。
また特養老人ホームにいる高齢者に生きがいを与えるのにもルーツ調べは有益である。
こんな話もある。
樺太生まれのAさんという方から手紙をもらった。
十代の時に父親を亡くしたという。
その父も早く両親と死別しているので、母やAさんは自分のルーツがどこなのかを何も知らされていなかった。
父も生前、自分のルーツがどこなかのか気にしていたという。
Aさんも年を取ってルーツが気になり始め、父親の除籍謄本を取り寄せてみたが、樺太時代のものは失われていた。
そのため本州のどこから樺太へ渡ったのかが皆目分からないので、何とか知る方法はないかというものだった。
わたしはAさんの名字が珍しいものだったので、全国のハローページを使ってAさんの名字の分布状況を調べてみると、栃木県のある地域にしか存在しない名字であることが判明した。
さっそくそのことをお知らせすると、数日後、返信が来た。
そこにはわたしの手紙が届いた日、Aさんの母が亡くなったとあった。
意識が混濁している母の耳元で、Aさんがわたしの手紙を大きな声で読むと、母は涙を流し、かぼそい声で「お父さんにも教えてあげるね」と言い残し、息絶えたという。
わたしにとってAさんに伝えた情報はほんのささいなものでしかなかったが、そんなものであってもこんなに喜んでくれる人がいることを知り、うれしさとともに身の引き締まる思いがしたものだ。
NHKの番組『ファミリーヒストリー』の影響も大きいだろう。
ある講演のあと、四十代前半の男性がやって来て「自分の高校生の娘はルーツ調べを通じて登校拒否を克服しました」と語った。
興味深い話なので、じっくりと聞いてみると、その男性の娘さんが中学二年生のとき、イジメにあって登校拒否になってしまったという。
親としては心を閉ざし、部屋に籠もるわが子の心を理解することほど難しいことはない。
この男性も必死に娘と話し合いを持とうとしたが、それまで娘に無関心だった父親が急に娘の心のドアを開けようと思っても、娘は頑なに心を閉ざすばかりだった。
途方に暮れていたとき、男性の父親、娘にとっては祖父がふらりとやって来て、最近家系を調べていると語った。
それから頻繁に祖父は来ると、家系調査の成果を楽しそうに話し、あるとき引きこもっている孫娘にちょっと手伝ってくれんかと持ちかけた。
娘は戸惑っていたが、次の日から祖父の調査を手伝うようになったという。
半年後、祖父と孫娘は祖先の足跡をたどる旅に出た。
そのあたりから娘に変化が現れ始めた。
自分から両親に話しかけ、自分の生まれたころのことや両親の子供時代の話を聞きたがったというのだ。
そして江戸時代初期までの家系図が完成した後、娘は学校に通うようになり、高校受験の勉強も始めた。
何が彼女をそうさせたのか、わたしは男性に訊ねてみた。
すると「娘がいうにはおじいちゃんと先祖を調べるうちに、壮絶な飢饉を生き抜いた先祖、大津波で家族の大半を失った先祖など、自分の想像もできないような苦しみや悲しみにじっと耐えた先祖のことを知って、なんだか自分も強くなれたような気がした」といい、また「枝葉のように書き込まれた家系図を見ているうちに、両親を通じて自分も彼らの一族なんだと気づき、急に家族が身近に感じられ、大切な存在なんだと改めて思った」と娘が話していたという。
不登校児や引きこもりの若者たちが見失っている一番大切なものは、家族との心のつながりである。
それを言葉で理解させることは難しいが、家系図を作製することを通じて、家族という血のつながった存在を改めて見つめ直し、理解することができるのだ。
今後は不登校児や引きこもりの人達にも積極的にルーツ調べを勧めて行きたいと思っている。
また特養老人ホームにいる高齢者に生きがいを与えるのにもルーツ調べは有益である。
こんな話もある。
樺太生まれのAさんという方から手紙をもらった。
十代の時に父親を亡くしたという。
その父も早く両親と死別しているので、母やAさんは自分のルーツがどこなのかを何も知らされていなかった。
父も生前、自分のルーツがどこなかのか気にしていたという。
Aさんも年を取ってルーツが気になり始め、父親の除籍謄本を取り寄せてみたが、樺太時代のものは失われていた。
そのため本州のどこから樺太へ渡ったのかが皆目分からないので、何とか知る方法はないかというものだった。
わたしはAさんの名字が珍しいものだったので、全国のハローページを使ってAさんの名字の分布状況を調べてみると、栃木県のある地域にしか存在しない名字であることが判明した。
さっそくそのことをお知らせすると、数日後、返信が来た。
そこにはわたしの手紙が届いた日、Aさんの母が亡くなったとあった。
意識が混濁している母の耳元で、Aさんがわたしの手紙を大きな声で読むと、母は涙を流し、かぼそい声で「お父さんにも教えてあげるね」と言い残し、息絶えたという。
わたしにとってAさんに伝えた情報はほんのささいなものでしかなかったが、そんなものであってもこんなに喜んでくれる人がいることを知り、うれしさとともに身の引き締まる思いがしたものだ。
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