われわれの名字は明治5年に登録された
われわれの名字は明治5年に登録された明治政府は収税と徴兵のため、まず明治3年(1870)9月19日に「平民苗字許可令」を布告した。これにより日本は再び国民皆姓に戻ったわけだ。
ところで、江戸時代に武士などが使っていた公称名字の数はどれくらいだったんだろう。正確に調べたデーターはないが、わたしは10万種類くらいではないかと推測している。この根拠は、中世までの記録に見える名字を拾った太田亮先生の『姓氏家系大辞典』(1934年刊行)である。この本に収録されている名字は約5万種類だが、そのうちある程度の解説文がついているものは3万前後。この3万に読み方の変化を加えると10万というところか。この10万種類が中世以来の名字で、江戸時代の公称名字の基礎となったと考えられるからだ。
ちなみに名字の数え方には二通りある。
文字だけで数える方法と読み方で数える方法である。文字だけで数えるというのは、高田を1名字として数える方法で、これだと名字数は約10万。しかし高田にはジャパネットたかたの社長高田明さんのように「たかた」と読ませる家もあれば、「たかだ」と読ませる家もある。変わったところでは「たつた」「こうだ」とも読む家もある。だから、読み方で数える方法だと高田は4種類になるんだ。この方法で数えると名字は一気に増えて約30万種類になる。
そのうち10万が江戸時代の公称名字だとすると、残りの20万が私称名字とその後に創作された名字ということになる。
政府は明治4年(1871)に戸籍法を発布し、翌5年から壬申(じんしん)戸籍の作製を開始した。しかし庶民はなかなか名字を登録しなかった。庶民は政府のことなどはなから信用していなかったんだ。あれだけ幕府や藩が口やかましく禁止していた名字を今度は自由に名乗ってもいいという。そんな気前の良い話にはきっと何か裏がある。実際に政府が国民に名字を許したのは収税と徴兵のためだったわけだから、その直感は見事に当っていたわけである。魂胆をみすかされて怒ったのは政府だった。明治8年(1872)2月13日には「平民苗字必称義務令」を出して、強制的に名字を名乗らせることにしたんだ。いい迷惑なのは庶民である。何百年も使うなといわれていたから公然とは使わないようにしていたものを、こんどはさっさと登録して使えという。当時の人は、政府というのは本当に勝手なものだと思ったことだろう。
こうして壬申戸籍に登録された名字は、改氏することが堅く禁じられ、現在まで受け継がれていくことになる。
明治政府は収税と徴兵のため、まず明治3年(1870)9月19日に「平民苗字許可令」を布告した。これにより日本は再び国民皆姓に戻ったわけだ。
ところで、江戸時代に武士などが使っていた公称名字の数はどれくらいだったんだろう。正確に調べたデーターはないが、わたしは10万種類くらいではないかと推測している。この根拠は、中世までの記録に見える名字を拾った太田亮先生の『姓氏家系大辞典』(1934年刊行)である。この本に収録されている名字は約5万種類だが、そのうちある程度の解説文がついているものは3万前後。この3万に読み方の変化を加えると10万というところか。この10万種類が中世以来の名字で、江戸時代の公称名字の基礎となったと考えられるからだ。
ちなみに名字の数え方には二通りある。
文字だけで数える方法と読み方で数える方法である。文字だけで数えるというのは、高田を1名字として数える方法で、これだと名字数は約10万。しかし高田にはジャパネットたかたの社長高田明さんのように「たかた」と読ませる家もあれば、「たかだ」と読ませる家もある。変わったところでは「たつた」「こうだ」とも読む家もある。だから、読み方で数える方法だと高田は4種類になるんだ。この方法で数えると名字は一気に増えて約30万種類になる。
そのうち10万が江戸時代の公称名字だとすると、残りの20万が私称名字とその後に創作された名字ということになる。
政府は明治4年(1871)に戸籍法を発布し、翌5年から壬申(じんしん)戸籍の作製を開始した。しかし庶民はなかなか名字を登録しなかった。庶民は政府のことなどはなから信用していなかったんだ。あれだけ幕府や藩が口やかましく禁止していた名字を今度は自由に名乗ってもいいという。そんな気前の良い話にはきっと何か裏がある。実際に政府が国民に名字を許したのは収税と徴兵のためだったわけだから、その直感は見事に当っていたわけである。魂胆をみすかされて怒ったのは政府だった。明治8年(1872)2月13日には「平民苗字必称義務令」を出して、強制的に名字を名乗らせることにしたんだ。いい迷惑なのは庶民である。何百年も使うなといわれていたから公然とは使わないようにしていたものを、こんどはさっさと登録して使えという。当時の人は、政府というのは本当に勝手なものだと思ったことだろう。
こうして壬申戸籍に登録された名字は、改氏することが堅く禁じられ、現在まで受け継がれていくことになる。