全国名字めぐりの旅 第129回 栃木県(5)
全国名字めぐりの旅 第129回 栃木県(5)大塚さんは全国にいるが、一番多く住んでいるのは栃木県である。
その昔、都に第38代天智天皇の重臣藤原鎌足の流れをくむ藤原道隆(953-995)という公家がいた。
この世界は自分のためにあると歌に詠んだ藤原道長の兄で、摂政・関白となって天皇を輔弼した人物である。
この道隆は大酒のみだった。
位人臣を極めた身分でありながら、泥酔して人前でかぶっていた烏帽子(えぼし)を脱ぎ、頭をさらしたこともあった。
当時貴族が人前で烏帽子を脱ぐことは、大変失礼なこととされていた。
そういうことを平気でやった。
また亡くなる直前、念仏を唱えるように勧められると、「仏弟子になるとあの世で酒飲み仲間と思いっきり酒が飲めないから」と言って断った。
まさに筋金入りの飲兵衛である。
この道隆の子孫泰親が現在の栃木市大塚町に住み着いて大塚孫太郎と名乗り、栃木大塚氏の始祖となった。
家紋は「剣片喰(かたばみ)」「五つ瓜に唐花」をよく使う。
ほかに関東の英雄・藤原秀郷の子孫という大塚さんもいて、「左三つ巴」「下り藤」をよく使う。
栃木県の大塚さんはいずれにしても大半が藤原氏の末裔である。
大塚さんは全国にいるが、一番多く住んでいるのは栃木県である。
その昔、都に第38代天智天皇の重臣藤原鎌足の流れをくむ藤原道隆(953-995)という公家がいた。
この世界は自分のためにあると歌に詠んだ藤原道長の兄で、摂政・関白となって天皇を輔弼した人物である。
この道隆は大酒のみだった。
位人臣を極めた身分でありながら、泥酔して人前でかぶっていた烏帽子(えぼし)を脱ぎ、頭をさらしたこともあった。
当時貴族が人前で烏帽子を脱ぐことは、大変失礼なこととされていた。
そういうことを平気でやった。
また亡くなる直前、念仏を唱えるように勧められると、「仏弟子になるとあの世で酒飲み仲間と思いっきり酒が飲めないから」と言って断った。
まさに筋金入りの飲兵衛である。
この道隆の子孫泰親が現在の栃木市大塚町に住み着いて大塚孫太郎と名乗り、栃木大塚氏の始祖となった。
家紋は「剣片喰(かたばみ)」「五つ瓜に唐花」をよく使う。