全国名字めぐりの旅 第86回 富山県(7)
全国名字めぐりの旅 第86回 富山県(7)
2022/01/17(月) 08:30
富山県の稲垣さんの代表的なルーツは第56代清和天皇(850-80)の流れをくむ清和源氏の子孫である。
この稲垣さんは三河国(愛知県)の発祥で、稲垣長茂は徳川家康に仕え、興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)で本能寺の変で信長が殺されたことを知る。
徳川の諸将は動揺を隠せず浮き足立つが、長茂だけは冷静に受け止め、敵対していた小田原北条氏がこの隙をついて攻撃してくるかも知れないので、各自の持ち場を厳重にすべきだと主張した。
長茂はその後も軍功を重ね、晩年には1万石の大名に取り立てられた。
稲垣さんは頼れる存在なのだ。
長茂の家紋は「稲垣茗荷(みょうが)」と「立ちおもだか」。
富山県の稲垣家もこの家紋をよく使う。
茗荷は神仏の加護を意味する冥加(みょうが)を食用の茗荷であらわしたもので、稲垣茗荷は通常の茗荷紋よりも苞(ほう)の数が少なく、花の数が多い。
稲垣氏しか使わないので稲垣茗荷の名で呼ばれた。
この稲垣さんは三河国(愛知県)の発祥で、稲垣長茂は徳川家康に仕え、興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)で本能寺の変で信長が殺されたことを知る。
徳川の諸将は動揺を隠せず浮き足立つが、長茂だけは冷静に受け止め、敵対していた小田原北条氏がこの隙をついて攻撃してくるかも知れないので、各自の持ち場を厳重にすべきだと主張した。
長茂はその後も軍功を重ね、晩年には1万石の大名に取り立てられた。
稲垣さんは頼れる存在なのだ。
長茂の家紋は「稲垣茗荷(みょうが)」と「立ちおもだか」。
富山県の稲垣家もこの家紋をよく使う。
茗荷は神仏の加護を意味する冥加(みょうが)を食用の茗荷であらわしたもので、稲垣茗荷は通常の茗荷紋よりも苞(ほう)の数が少なく、花の数が多い。
稲垣氏しか使わないので稲垣茗荷の名で呼ばれた。
富山県の稲垣さんの代表的なルーツは第56代清和天皇(850-80)の流れをくむ清和源氏の子孫である。
この稲垣さんは三河国(愛知県)の発祥で、稲垣長茂は徳川家康に仕え、興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)で本能寺の変で信長が殺されたことを知る。
徳川の諸将は動揺を隠せず浮き足立つが、長茂だけは冷静に受け止め、敵対していた小田原北条氏がこの隙をついて攻撃してくるかも知れないので、各自の持ち場を厳重にすべきだと主張した。
長茂はその後も軍功を重ね、晩年には1万石の大名に取り立てられた。
稲垣さんは頼れる存在なのだ。
長茂の家紋は「稲垣茗荷(みょうが)」と「立ちおもだか」。
富山県の稲垣家もこの家紋をよく使う。
茗荷は神仏の加護を意味する冥加(みょうが)を食用の茗荷であらわしたもので、稲垣茗荷は通常の茗荷紋よりも苞(ほう)の数が少なく、花の数が多い。
稲垣氏しか使わないので稲垣茗荷の名で呼ばれた。
この稲垣さんは三河国(愛知県)の発祥で、稲垣長茂は徳川家康に仕え、興国寺城(現在の静岡県沼津市根古屋)で本能寺の変で信長が殺されたことを知る。
徳川の諸将は動揺を隠せず浮き足立つが、長茂だけは冷静に受け止め、敵対していた小田原北条氏がこの隙をついて攻撃してくるかも知れないので、各自の持ち場を厳重にすべきだと主張した。
長茂はその後も軍功を重ね、晩年には1万石の大名に取り立てられた。
稲垣さんは頼れる存在なのだ。
長茂の家紋は「稲垣茗荷(みょうが)」と「立ちおもだか」。
富山県の稲垣家もこの家紋をよく使う。
茗荷は神仏の加護を意味する冥加(みょうが)を食用の茗荷であらわしたもので、稲垣茗荷は通常の茗荷紋よりも苞(ほう)の数が少なく、花の数が多い。
稲垣氏しか使わないので稲垣茗荷の名で呼ばれた。
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《ぱぴぃ》