全国名字めぐりの旅 第13回 岩手県(5)
全国名字めぐりの旅 第13回 岩手県(5)
2020/08/28(金) 08:30
東北に住む人たちのルーツを探っていくと、もともとの出身地が関東地方だという家が目立つ。
それは文治五(1189)年の奥州征伐に従軍して戦後、恩賞として東北の地をたまわり、関東から移動した武将が多いからだ。
その代表は葛西清重である。
桓武天皇の流れをくむ葛西氏はもともと下総国葛西(東京都葛飾区付近)の豪族だったが、清重のとき源頼朝の挙兵に参加し、奥州征伐で活躍して現在の岩手県南部と宮城県北部の地を与えられた。
いったん下総に帰国した清重は船団を率いて宮城県石巻の浜辺に上陸。
そこで酒宴を催したとき、柏の葉が風に飛ばされて清重の盃の上に落ちた。
柏の木は古来から神の木とされている。
喜んだ清重は以後、「三つ柏」の家紋を使った。
その嫡流は奥州総奉行となって武威を盛んにし、戦国大名へと発展。
一族も多く、岩手県では岩淵、岩渕、黒沢氏など。
歌手の新沼謙治(宮城県出身)も末裔である。
さらに葛西氏を頼って千葉県から同族の千葉氏が下向し、こちらからは国連事務次長の新渡戸稲造博士が出た。
ほかに川村氏と同族の阿曽沼広綱も奥州征伐の功績を認められて、現在の岩手県遠野地方を与えられた。
嫡流は戦国時代、盛岡の南部氏に領地を奪われて仙台藩に逃亡。
一族に照井氏がいる。
家紋は「州浜(すはま)」。
それは文治五(1189)年の奥州征伐に従軍して戦後、恩賞として東北の地をたまわり、関東から移動した武将が多いからだ。
その代表は葛西清重である。
桓武天皇の流れをくむ葛西氏はもともと下総国葛西(東京都葛飾区付近)の豪族だったが、清重のとき源頼朝の挙兵に参加し、奥州征伐で活躍して現在の岩手県南部と宮城県北部の地を与えられた。
いったん下総に帰国した清重は船団を率いて宮城県石巻の浜辺に上陸。
そこで酒宴を催したとき、柏の葉が風に飛ばされて清重の盃の上に落ちた。
柏の木は古来から神の木とされている。
喜んだ清重は以後、「三つ柏」の家紋を使った。
その嫡流は奥州総奉行となって武威を盛んにし、戦国大名へと発展。
一族も多く、岩手県では岩淵、岩渕、黒沢氏など。
歌手の新沼謙治(宮城県出身)も末裔である。
さらに葛西氏を頼って千葉県から同族の千葉氏が下向し、こちらからは国連事務次長の新渡戸稲造博士が出た。
ほかに川村氏と同族の阿曽沼広綱も奥州征伐の功績を認められて、現在の岩手県遠野地方を与えられた。
嫡流は戦国時代、盛岡の南部氏に領地を奪われて仙台藩に逃亡。
一族に照井氏がいる。
家紋は「州浜(すはま)」。
東北に住む人たちのルーツを探っていくと、もともとの出身地が関東地方だという家が目立つ。
それは文治五(1189)年の奥州征伐に従軍して戦後、恩賞として東北の地をたまわり、関東から移動した武将が多いからだ。
その代表は葛西清重である。
桓武天皇の流れをくむ葛西氏はもともと下総国葛西(東京都葛飾区付近)の豪族だったが、清重のとき源頼朝の挙兵に参加し、奥州征伐で活躍して現在の岩手県南部と宮城県北部の地を与えられた。
いったん下総に帰国した清重は船団を率いて宮城県石巻の浜辺に上陸。
そこで酒宴を催したとき、柏の葉が風に飛ばされて清重の盃の上に落ちた。
柏の木は古来から神の木とされている。
喜んだ清重は以後、「三つ柏」の家紋を使った。
その嫡流は奥州総奉行となって武威を盛んにし、戦国大名へと発展。
一族も多く、岩手県では岩淵、岩渕、黒沢氏など。
歌手の新沼謙治(宮城県出身)も末裔である。
さらに葛西氏を頼って千葉県から同族の千葉氏が下向し、こちらからは国連事務次長の新渡戸稲造博士が出た。
ほかに川村氏と同族の阿曽沼広綱も奥州征伐の功績を認められて、現在の岩手県遠野地方を与えられた。
嫡流は戦国時代、盛岡の南部氏に領地を奪われて仙台藩に逃亡。
一族に照井氏がいる。
家紋は「州浜(すはま)」。
それは文治五(1189)年の奥州征伐に従軍して戦後、恩賞として東北の地をたまわり、関東から移動した武将が多いからだ。
その代表は葛西清重である。
桓武天皇の流れをくむ葛西氏はもともと下総国葛西(東京都葛飾区付近)の豪族だったが、清重のとき源頼朝の挙兵に参加し、奥州征伐で活躍して現在の岩手県南部と宮城県北部の地を与えられた。
いったん下総に帰国した清重は船団を率いて宮城県石巻の浜辺に上陸。
そこで酒宴を催したとき、柏の葉が風に飛ばされて清重の盃の上に落ちた。
柏の木は古来から神の木とされている。
喜んだ清重は以後、「三つ柏」の家紋を使った。
その嫡流は奥州総奉行となって武威を盛んにし、戦国大名へと発展。
一族も多く、岩手県では岩淵、岩渕、黒沢氏など。
歌手の新沼謙治(宮城県出身)も末裔である。
さらに葛西氏を頼って千葉県から同族の千葉氏が下向し、こちらからは国連事務次長の新渡戸稲造博士が出た。
ほかに川村氏と同族の阿曽沼広綱も奥州征伐の功績を認められて、現在の岩手県遠野地方を与えられた。
嫡流は戦国時代、盛岡の南部氏に領地を奪われて仙台藩に逃亡。
一族に照井氏がいる。
家紋は「州浜(すはま)」。
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《ぱぴぃ》