名字ランキング 第8位 中村
名字ランキング 第8位 中村名字博士と愛ちゃんが 中村姓について話しています。
「中村さんは中ぐらいの規模の村に住んでいた人かしら?」
「大村さん、小村さんもいるからね。大中小の中村さんもいるだろうが、普通〈ナカ〉とは中心のことだ」
「村の中心?」
「そう。人が集まると田んぼが増える。田んぼが多くなると、通うのが大変になるから田んぼの中に家を建てて住むようになる。田中さんの誕生だ。その田中さんの隣近所に家が次々と建っていくと〈家が群(む)れ〉てムラと呼ばれるようになり、中村という地名ができるわけだ」
「中村とは村の中心(始まり。核)となった集落のことをいうのね」
「日本人は中という文字が好きだからね。中という漢字は口にーと書く。これは物(口)のなかにー(中心となるもの)があることだ。自分の中にしっかりと芯(しん)を持っている人物は立派だ。ほかにも中には心とか、正しくかたらないとか、願いがかなうという意味もある。どれも大切だし、縁起がいい。さらに人と人を結び付けることを仲人(なこうど)というよね。藤原氏はもともと中臣(なかとみ)氏といい、本来の氏は中氏だ。中氏は神様と人の仲を取り持っていたので、まさに天と地をつなげる仲人だった。このように中とは、本当にすばらしい言葉なんだ」
「中山さんとか中田さん、中井さんとか、中のつく名字は多いものね」
「地名から名字にするとき、人が使うものだから人偏(にんべん)をつけて仲村さんや仲井さんにした家もあった」
「中村さんの北にできた集落が北村で、東にできた集落は東村よね。でも東村さんって少なくない?」
「東村さんは全国順位が三、二七三位で、人数はおよそ四、一〇〇人だ。中村さんが約一〇九万人もいるのから比べると少ないね。その理由は言いづらいからだよ。ヒガシムラとは言いづらいので東に省略したり、東出(ひがしで)に変えた家が多いんだ。南村も同じように南や南出に変えた家が多かった。北村と西村は言いやすいので変えずにそのまま使われることが多かった」
「中村さんの語源になった村って、江戸時代の村に比べると小さい規模だったの?」
「〇村さんの母体になった〇村地名は江戸時代の村のように数百人が住んでいる村というわけじゃなく、数十人から数人が住んでいる集落のことが多かった。だから江戸時代の村のなかに中村や北村、西村、東出、南出などの地名が小字(こあざ)として揃っていることもあったろう。そういう小集落が合わさって江戸時代以降の村が成立したんだ。でもね、その中心となった中村さんの場合はやっぱり別格で、地名の数も群を抜いて多いし、なかには最近まで近・現代の自治体名として使われていたものもあった」
「たとえば?」
「豊臣秀吉が生まれた尾張国中村は現在、愛知県名古屋市中村区中村町になっている。福島県相馬郡にあった中村町は独立した自治体だったが、昭和二十九年(一九五四)に相馬市に合併されて相馬市中村となった。高知県中村市も残念ながら平成十七年(二〇〇五)四万十市(しまんとし)中村になった。兵庫県多可(たか)郡にあった中村町は明治になって中村となり、中町をへて現在は多可町中区中村町になっている。このように中村さんの発祥地である全国の中村地名は何百年、数千年の時代を生き抜いて現在まで存続しているのさ」
名字博士と愛ちゃんが 中村姓について話しています。
「中村さんは中ぐらいの規模の村に住んでいた人かしら?」
「大村さん、小村さんもいるからね。大中小の中村さんもいるだろうが、普通〈ナカ〉とは中心のことだ」
「村の中心?」
「そう。人が集まると田んぼが増える。田んぼが多くなると、通うのが大変になるから田んぼの中に家を建てて住むようになる。田中さんの誕生だ。その田中さんの隣近所に家が次々と建っていくと〈家が群(む)れ〉てムラと呼ばれるようになり、中村という地名ができるわけだ」
「中村とは村の中心(始まり。核)となった集落のことをいうのね」
「日本人は中という文字が好きだからね。中という漢字は口にーと書く。これは物(口)のなかにー(中心となるもの)があることだ。自分の中にしっかりと芯(しん)を持っている人物は立派だ。ほかにも中には心とか、正しくかたらないとか、願いがかなうという意味もある。どれも大切だし、縁起がいい。さらに人と人を結び付けることを仲人(なこうど)というよね。藤原氏はもともと中臣(なかとみ)氏といい、本来の氏は中氏だ。中氏は神様と人の仲を取り持っていたので、まさに天と地をつなげる仲人だった。このように中とは、本当にすばらしい言葉なんだ」
「中山さんとか中田さん、中井さんとか、中のつく名字は多いものね」
「地名から名字にするとき、人が使うものだから人偏(にんべん)をつけて仲村さんや仲井さんにした家もあった」
「中村さんの北にできた集落が北村で、東にできた集落は東村よね。でも東村さんって少なくない?」
「東村さんは全国順位が三、二七三位で、人数はおよそ四、一〇〇人だ。中村さんが約一〇九万人もいるのから比べると少ないね。その理由は言いづらいからだよ。ヒガシムラとは言いづらいので東に省略したり、東出(ひがしで)に変えた家が多いんだ。南村も同じように南や南出に変えた家が多かった。北村と西村は言いやすいので変えずにそのまま使われることが多かった」
「中村さんの語源になった村って、江戸時代の村に比べると小さい規模だったの?」
「〇村さんの母体になった〇村地名は江戸時代の村のように数百人が住んでいる村というわけじゃなく、数十人から数人が住んでいる集落のことが多かった。だから江戸時代の村のなかに中村や北村、西村、東出、南出などの地名が小字(こあざ)として揃っていることもあったろう。そういう小集落が合わさって江戸時代以降の村が成立したんだ。でもね、その中心となった中村さんの場合はやっぱり別格で、地名の数も群を抜いて多いし、なかには最近まで近・現代の自治体名として使われていたものもあった」
「たとえば?」
「豊臣秀吉が生まれた尾張国中村は現在、愛知県名古屋市中村区中村町になっている。福島県相馬郡にあった中村町は独立した自治体だったが、昭和二十九年(一九五四)に相馬市に合併されて相馬市中村となった。高知県中村市も残念ながら平成十七年(二〇〇五)四万十市(しまんとし)中村になった。兵庫県多可(たか)郡にあった中村町は明治になって中村となり、中町をへて現在は多可町中区中村町になっている。このように中村さんの発祥地である全国の中村地名は何百年、数千年の時代を生き抜いて現在まで存続しているのさ」