全国名字めぐりの旅 第140回 群馬県(6)
全国名字めぐりの旅 第140回 群馬県(6)狩野さんも群馬県に多い。
読み方は「かの」「かりの」が多く、「かのう」は少数派である。
なおコメディアンの狩野英孝は宮城県で38代続く神主の家に生まれ「かの」と読む。
狩野さんのルーツは第38代天智天皇の重臣藤原鎌足(614-69)の流れをくむ藤原南家で、工藤家次の子茂光が現在の静岡県伊豆市にあった狩野城に住み着いて、「かの」と称した。
最初は「かの」だったのである。
それが分家などによって読み方が変化していった。
茂光は狩野介と名乗り、伊豆全域の武将を従えるほどの名将だった。
群馬県の狩野さんは群馬県渋川市赤城町狩野々(かのの)から発祥したといわれるが、残されている系図を見ると伊豆の狩野茂光の末裔と書かれている。
戦国時代には真田・上杉・北条氏などに仕え、家紋は「丸に二つ引き」と「違い鷹の羽」をよく使う。
狩野さんも群馬県に多い。
読み方は「かの」「かりの」が多く、「かのう」は少数派である。
なおコメディアンの狩野英孝は宮城県で38代続く神主の家に生まれ「かの」と読む。
狩野さんのルーツは第38代天智天皇の重臣藤原鎌足(614-69)の流れをくむ藤原南家で、工藤家次の子茂光が現在の静岡県伊豆市にあった狩野城に住み着いて、「かの」と称した。
最初は「かの」だったのである。
それが分家などによって読み方が変化していった。
茂光は狩野介と名乗り、伊豆全域の武将を従えるほどの名将だった。