全国名字めぐりの旅 第186回 山梨県(10)
全国名字めぐりの旅 第186回 山梨県(10)
2024/02/16(金) 08:30
北海道出身の代議士に三枝三郎氏がいた。「さえぐさ」と読む。広島県出身の哲学者三枝博音氏は「さいぐさ」と読む。あなたの知り合いの三枝さんは何と読むだろうか。
三枝という苗字のルーツはほとんどが山梨県である。山梨県では「さいぐさ」と読む家が過半数を超えるが、全国的には「さいぐさ」と読む家のほうが多い。
そもそも三枝さんという苗字は天皇から賜ったものだという。遠い昔、第23代顕宗天皇の時代、群臣が集まって庭で宴を楽しんでいたとき、三枝さんのご先祖がすっと天皇の御前に進み出て、三つ葉の福(さき)草(くさ)を献上した。これにいたく感激した天皇が三枝の姓を与えたというのだ。 その後、読み方が「さきくさ」から「さいぐさ」「さえくざ」とへ変化。そして三枝守国のとき、甲斐(山梨県)へ移り住み、子孫は国府の役人となって勢力を得た。この守国は160歳まで生きたといわれる伝説の人物である。
戦国時代(1467-1568)になると、三枝さんは武田氏に従い、三枝守友(昌貞)は信玄に仕えて武田二十四将の一人に数えられたほどの猛将だった。家紋は三枝にちなんで右三階松を愛用するが、ほかに丸に二つ引きも使う。
三枝という苗字のルーツはほとんどが山梨県である。山梨県では「さいぐさ」と読む家が過半数を超えるが、全国的には「さいぐさ」と読む家のほうが多い。
そもそも三枝さんという苗字は天皇から賜ったものだという。遠い昔、第23代顕宗天皇の時代、群臣が集まって庭で宴を楽しんでいたとき、三枝さんのご先祖がすっと天皇の御前に進み出て、三つ葉の福(さき)草(くさ)を献上した。これにいたく感激した天皇が三枝の姓を与えたというのだ。 その後、読み方が「さきくさ」から「さいぐさ」「さえくざ」とへ変化。そして三枝守国のとき、甲斐(山梨県)へ移り住み、子孫は国府の役人となって勢力を得た。この守国は160歳まで生きたといわれる伝説の人物である。
戦国時代(1467-1568)になると、三枝さんは武田氏に従い、三枝守友(昌貞)は信玄に仕えて武田二十四将の一人に数えられたほどの猛将だった。家紋は三枝にちなんで右三階松を愛用するが、ほかに丸に二つ引きも使う。
北海道出身の代議士に三枝三郎氏がいた。「さえぐさ」と読む。広島県出身の哲学者三枝博音氏は「さいぐさ」と読む。あなたの知り合いの三枝さんは何と読むだろうか。
三枝という苗字のルーツはほとんどが山梨県である。山梨県では「さいぐさ」と読む家が過半数を超えるが、全国的には「さいぐさ」と読む家のほうが多い。
そもそも三枝さんという苗字は天皇から賜ったものだという。遠い昔、第23代顕宗天皇の時代、群臣が集まって庭で宴を楽しんでいたとき、三枝さんのご先祖がすっと天皇の御前に進み出て、三つ葉の福(さき)草(くさ)を献上した。これにいたく感激した天皇が三枝の姓を与えたというのだ。
三枝という苗字のルーツはほとんどが山梨県である。山梨県では「さいぐさ」と読む家が過半数を超えるが、全国的には「さいぐさ」と読む家のほうが多い。
そもそも三枝さんという苗字は天皇から賜ったものだという。遠い昔、第23代顕宗天皇の時代、群臣が集まって庭で宴を楽しんでいたとき、三枝さんのご先祖がすっと天皇の御前に進み出て、三つ葉の福(さき)草(くさ)を献上した。これにいたく感激した天皇が三枝の姓を与えたというのだ。
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《ぱぴぃ》