全国名字めぐりの旅 第185回 山梨県(9)
全国名字めぐりの旅 第185回 山梨県(9)
2024/02/05(月) 08:30
明治時代の北海道開発を担ったのは開拓使である。その開拓使には新撰組の生き残りが数名いた。加納通広、阿部隆明、足立民治、前野五郎、三井丑之助である。このうち三井は常陸国(茨城県)出身。土方歳三の隊士募集に応じて江戸で新撰組に入り、鳥羽伏見の戦いで敗走。江戸で隊を抜けて新政府軍に投降し、維新後は短い間だが、開拓使で働いていた。
三井といえば、なんといっても天下の三井財閥が有名だ。
この三井姓。山梨県に多い。武田信玄の家臣にもいて、三井助七郎などは勲功によって信玄から信の文字を与えられて、信一と名乗り、その子三井但馬(たじま)守(のかみ)信友は織田軍と戦って討死した。これら山梨県の三井氏は第59代宇多天皇(867-931)の流れをくむ宇多源氏佐々木氏族の子孫といわれている。家紋は井桁(いげた)や花菱をよく使う。
三井丑之助もルーツは源氏というから、この流れだろう。三井財閥も同族だ。社章は丸に井桁に三文字だが、家紋は隅立て四つ目を使っている。
三井といえば、なんといっても天下の三井財閥が有名だ。
この三井姓。山梨県に多い。武田信玄の家臣にもいて、三井助七郎などは勲功によって信玄から信の文字を与えられて、信一と名乗り、その子三井但馬(たじま)守(のかみ)信友は織田軍と戦って討死した。これら山梨県の三井氏は第59代宇多天皇(867-931)の流れをくむ宇多源氏佐々木氏族の子孫といわれている。家紋は井桁(いげた)や花菱をよく使う。
三井丑之助もルーツは源氏というから、この流れだろう。三井財閥も同族だ。社章は丸に井桁に三文字だが、家紋は隅立て四つ目を使っている。
明治時代の北海道開発を担ったのは開拓使である。その開拓使には新撰組の生き残りが数名いた。加納通広、阿部隆明、足立民治、前野五郎、三井丑之助である。このうち三井は常陸国(茨城県)出身。土方歳三の隊士募集に応じて江戸で新撰組に入り、鳥羽伏見の戦いで敗走。江戸で隊を抜けて新政府軍に投降し、維新後は短い間だが、開拓使で働いていた。
三井といえば、なんといっても天下の三井財閥が有名だ。
三井といえば、なんといっても天下の三井財閥が有名だ。
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《ぱぴぃ》