全国名字めぐりの旅 第151回 埼玉県(7)
全国名字めぐりの旅 第151回 埼玉県(7)福島さんは全国にまんべんなく分布しているが、埼玉県には断然多い。
歴史上の人物では福島正則が有名である。
福島正則は母親が豊臣秀吉の母の妹だったことから秀吉に召し出され、加藤清正とともに少年のころから仕えた。
秀吉が柴田勝家と雌雄(しゆう)を決した賤ヶ岳の合戦で大活躍し、七本槍の一人に数えられる。
その後も勲功を重ね、関が原の戦いでは徳川家康に与(くみ)し、戦後に安芸国(広島県)一国を与えられた。
ところが台風で壊れた城の石垣を幕府に無断で修理したことを咎(とが)められ、所領を没収されてしまう。
徳川に利用され、目的が達成されると、使い捨てにされたわけだ。
広島城を追われた正則は信濃国(長野県)に捨て扶持を与えられ、そこで寂しい最後をとげた。
正則の家系は岐阜県川辺町福島から発祥した系統で、第56代清和天皇(850-81)の流れをくむ清和源氏の子孫という。
同族といわれる福島綱成は小田原北条家臣団のなかで最強とたたえられ、主君氏綱から特別に北条姓を許された猛将。
とにかく福島さんには強い人物が多い。
正則は福島沢瀉(おもだか)を使い、正成は笹竜胆(りんどう)を使っている。
福島さんは全国にまんべんなく分布しているが、埼玉県には断然多い。
歴史上の人物では福島正則が有名である。
福島正則は母親が豊臣秀吉の母の妹だったことから秀吉に召し出され、加藤清正とともに少年のころから仕えた。
秀吉が柴田勝家と雌雄(しゆう)を決した賤ヶ岳の合戦で大活躍し、七本槍の一人に数えられる。
その後も勲功を重ね、関が原の戦いでは徳川家康に与(くみ)し、戦後に安芸国(広島県)一国を与えられた。
ところが台風で壊れた城の石垣を幕府に無断で修理したことを咎(とが)められ、所領を没収されてしまう。
徳川に利用され、目的が達成されると、使い捨てにされたわけだ。
広島城を追われた正則は信濃国(長野県)に捨て扶持を与えられ、そこで寂しい最後をとげた。