全国名字めぐりの旅 第139回 群馬県(5)
全国名字めぐりの旅 第139回 群馬県(5)群馬県には飯塚姓が多い。
ルーツも多彩だが、一番多いのは第38代天智天皇の重臣藤原鎌足(614-69)の流れをくむ藤原秀郷将軍の子孫という飯塚氏である。
この家は源義経に仕えた佐藤継信・忠信兄弟の末裔といい、戦国時代(1467-1568)までは白井城(渋川市白井)の長尾氏に仕えていたが、主君の滅亡により川島村(渋川市川島)などに帰農し、名主(村長)となった。
天明3年(1783)に浅間山が大噴火した。
浅間山史上最大の噴火だった。
高熱の土砂が川島村を襲う。
これを地元では「浅間押し」という。
瞬く間に123名がのみ込まれ亡くなり、家も焼失した。
群馬県だけでも死者は1400名を越えたという。
そんななかで名主の飯塚清左衛門は自分も家を失っているにもかかわらず、被害者を救うために奔走した。
この一族には面白い伝承がある。
もともと本姓は佐藤だが、あるとき伝来の系図を地に埋めて塚を築き、飯を炊いて先祖供養をしたという。
そして飯塚と改姓したというのだ。
家紋は佐藤ゆかりの「源氏車」をよく使う。
ほかに平家の子孫という飯塚家は「三つ柏」を愛用している。
群馬県には飯塚姓が多い。
ルーツも多彩だが、一番多いのは第38代天智天皇の重臣藤原鎌足(614-69)の流れをくむ藤原秀郷将軍の子孫という飯塚氏である。
この家は源義経に仕えた佐藤継信・忠信兄弟の末裔といい、戦国時代(1467-1568)までは白井城(渋川市白井)の長尾氏に仕えていたが、主君の滅亡により川島村(渋川市川島)などに帰農し、名主(村長)となった。