全国名字めぐりの旅 第143回 群馬県(9)
全国名字めぐりの旅 第143回 群馬県(9)塚越さんも群馬県に多い。
読み方は「つかごし」と「つかこし」があって、全国的には「つかごし」と濁るのが一般的。
地名の埼玉県名蕨(わらび)市塚越も「つかごし」と読む。
埼玉県坂戸市・神奈川県横浜市中区・富山県中新川郡立山町の塚越も「つかごし」と濁るから、本来の読み方が「つかごし」であることが分かる。
現在は「つかこし」と読む家もあるが、それは後に変化したものである。
群馬県の塚越さんの大半は第56代清和天皇(850-881)の流れをくむ清和源氏の子孫といわれ、初代は南朝の忠臣新田義貞の二男義興の末裔という塚越尾張(おわりの)守(かみ)である。
尾張守は現在の群馬県太田市新田反町町に住んで新田本家に仕えていたが、天正年間(1573-92)塚越九八郎のとき太田市由良へ移り、地元の豪族だった由良氏の家臣となった。
そして江戸時代になると帰農して名主(村長)を務めたという。
家紋は「蔦」と「鶴の丸」などを使っている。
また高崎市の塚越家は碓井(うすい)貞光の末裔という。
貞光は大江山に棲む化け物酒呑(しゅてん)童子を退治した源頼光四天王の一人で、桓武平氏の子孫である。
塚越さんも群馬県に多い。
読み方は「つかごし」と「つかこし」があって、全国的には「つかごし」と濁るのが一般的。
地名の埼玉県名蕨(わらび)市塚越も「つかごし」と読む。
埼玉県坂戸市・神奈川県横浜市中区・富山県中新川郡立山町の塚越も「つかごし」と濁るから、本来の読み方が「つかごし」であることが分かる。
現在は「つかこし」と読む家もあるが、それは後に変化したものである。