全国名字めぐりの旅 第141回 群馬県(7)
全国名字めぐりの旅 第141回 群馬県(7)群馬県の萩原さんといえば、二人の詩人を思い出す。
二人は奇しくも同じ前橋市の生まれである。
一人は日本近代詩の父といわれる萩原朔太郎、もう一人はアナーキスト詩人の萩原恭次郎。
歳は朔太郎のほうが13歳上だったが、二人は仲が良かった。
しかし朔太郎のルーツは群馬県ではない。
もともとは大阪府八尾市の家で、祖父玄隆は漢方医だった。
その三男に生まれた密蔵(朔太郎の父)が東京帝大の医学部を卒業したあと、前橋市で開業医となったのである。
朔太郎は前橋市生まれだが、ルーツは関西人である。
一方、恭次郎は生粋の群馬県人で、南橘村(前橋市南橘町)の出身。
一族から村長が出るほどの名家だった。
群馬県にはとにかく萩原さんが多い。
ルーツで一番多いのは第38代天智天皇の重臣藤原鎌足(614-69)の流れをくむ武家藤原氏の子孫だが、第56代清和天皇(850-881)の流れをくむ清和源氏の子孫、または第5代孝昭天皇の流れをくむ古代の名族小野氏の子孫という家もあり、なかなか複雑である。
家紋は朔太郎が「九曜」で恭次郎は「五三桐」。
ほかでは珍しい「並び瓶子(へいし)」を使う家もある。
群馬県の萩原さんといえば、二人の詩人を思い出す。
二人は奇しくも同じ前橋市の生まれである。
一人は日本近代詩の父といわれる萩原朔太郎、もう一人はアナーキスト詩人の萩原恭次郎。
歳は朔太郎のほうが13歳上だったが、二人は仲が良かった。
しかし朔太郎のルーツは群馬県ではない。
もともとは大阪府八尾市の家で、祖父玄隆は漢方医だった。
その三男に生まれた密蔵(朔太郎の父)が東京帝大の医学部を卒業したあと、前橋市で開業医となったのである。
朔太郎は前橋市生まれだが、ルーツは関西人である。
一方、恭次郎は生粋の群馬県人で、南橘村(前橋市南橘町)の出身。
一族から村長が出るほどの名家だった。