全国名字めぐりの旅 第182回 山梨県(6)
全国名字めぐりの旅 第182回 山梨県(6)
2024/01/01(月) 08:30
山梨県には秋山さんも多い。もっとも有名な秋山さんは武田二十四将の一人、秋山伯耆(ほうき)守(のかみ)信友(虎繁)だろう。信友は信玄と勝頼に仕えた家老で、元亀3年(1572)信玄の西上に従って美濃国へ進出し、岩村城(岐阜県恵那市岩村町)に入った。このとき前城主遠山景任の未亡人を妻に迎えたといわれているが、史実かどうかは疑わしい。信玄の死後も岩村城にあって最前線を守っていたが、天正3年(1575)織田信忠(信長の嫡男)の軍勢が城を取り囲む。信友は勝頼に援軍を求めたものの、織田軍の攻撃は激しく、ついに防ぎきれず城兵の助命を条件に降伏した。開城後、織田軍は約束を破り、城兵を皆殺しにすると信友を岐阜に連行して磔(はりつけ)にした。
武田家に忠義を尽くし、非業の最期を遂げた信友は人気が高い。二十四将は記録によってメンバーが変わるが、信友だけは必ず選ばれている。
この秋山氏は山梨県南アルプス市秋山から出た第56代清和天皇(850-81)の流れをくむ清和源氏加賀美氏族の子孫である。加賀美遠光の子光朝が秋山太郎と名乗ったことに始まる。家紋は三階菱と剣花菱をよく使う。
武田家に忠義を尽くし、非業の最期を遂げた信友は人気が高い。二十四将は記録によってメンバーが変わるが、信友だけは必ず選ばれている。
この秋山氏は山梨県南アルプス市秋山から出た第56代清和天皇(850-81)の流れをくむ清和源氏加賀美氏族の子孫である。加賀美遠光の子光朝が秋山太郎と名乗ったことに始まる。家紋は三階菱と剣花菱をよく使う。
山梨県には秋山さんも多い。もっとも有名な秋山さんは武田二十四将の一人、秋山伯耆(ほうき)守(のかみ)信友(虎繁)だろう。信友は信玄と勝頼に仕えた家老で、元亀3年(1572)信玄の西上に従って美濃国へ進出し、岩村城(岐阜県恵那市岩村町)に入った。このとき前城主遠山景任の未亡人を妻に迎えたといわれているが、史実かどうかは疑わしい。信玄の死後も岩村城にあって最前線を守っていたが、天正3年(1575)織田信忠(信長の嫡男)の軍勢が城を取り囲む。信友は勝頼に援軍を求めたものの、織田軍の攻撃は激しく、ついに防ぎきれず城兵の助命を条件に降伏した。開城後、織田軍は約束を破り、城兵を皆殺しにすると信友を岐阜に連行して磔(はりつけ)にした。
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《ぱぴぃ》