全国名字めぐりの旅 第150回 埼玉県(6)
全国名字めぐりの旅 第150回 埼玉県(6)埼玉県には新座市栗原や久喜市栗原という地名があり、栗原さんも多い。
栗原の栗は、一般的に植物の栗にちなんでいるが、クリの語源には諸説がある。
果皮が黒いことからクロが変化したという説、下に落ちた実が石のようだから石の古語クリにちなむという説、果実を意味するクラという言葉の変化だという説もある。
いずれにしても栗の木が茂っている原野を古人は栗原と命名した。
また中国南方から呉人(くれひと)が渡来して住み着いた土地もクレ原が転じて栗原になったという。
呉人は呉服という言葉からもわかる通り、我が国に機織(はたお)りの文化を伝えてくれた人々である。
埼玉県所沢市にある北野天神社の神主は栗原さんだった。
神主でありながら武装して武士としても活躍し、永禄10年(1567)には八王子城主北条氏照(氏康の三男)から伊賀(いが)守(のかみ)の名前を与えられた。
その北条氏が滅ぼされ、徳川家康が入国してきても栗原さんは優遇され、家康からも伊勢(いせの)守(かみ)の名前を許されている。
この栗原さんの家紋は梅鉢(うめばち)と橘、違い鷹の羽など。
ルーツは古代に軍事をつかさどった物部(もののべ)氏という。
埼玉県には新座市栗原や久喜市栗原という地名があり、栗原さんも多い。
栗原の栗は、一般的に植物の栗にちなんでいるが、クリの語源には諸説がある。
果皮が黒いことからクロが変化したという説、下に落ちた実が石のようだから石の古語クリにちなむという説、果実を意味するクラという言葉の変化だという説もある。
いずれにしても栗の木が茂っている原野を古人は栗原と命名した。
また中国南方から呉人(くれひと)が渡来して住み着いた土地もクレ原が転じて栗原になったという。
呉人は呉服という言葉からもわかる通り、我が国に機織(はたお)りの文化を伝えてくれた人々である。